都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今年の「土用丑の日」は7月19日(日曜日)です。
夏の土用には「う」のつくものを食べる風習がありました。昔は、季節の変わり目にさまざまな禁忌や風習がありました。特に夏の土用は梅雨明けと重なるため、衣類や掛け軸などの湿気をとる「土用の虫干し」をしたり、梅干し・うどん・うりなど「う」のつくものを食べたりして夏バテ防止をしたのです。うなぎもまさに「う」のつく食べ物です。
また、『万葉集』に大伴家持が痩せこけた知人の夏痩せ防止にうなぎを勧める歌があり、かなり古くからうなぎが滋養強壮に効く食べものとして注目されていたことがわかりますね。
※ 「石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻とり食せ」
<大伴家持 『万葉集』 巻16-3853>
この大伴家持の和歌には「土用丑の日」の言葉はありません。
ああ、知っている、と思ったみなさんは平賀源内の話を思われたとおもいます。
江戸時代の文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた「明和誌」(青山白峰著)に有名な学者平賀源内が、知り合いのうなぎ屋のために、店頭に「本日土用丑の日」と大きく書いてやったところ、店が大繁盛したという話しです。
これとそっくり同じ話しが他にもあって、どうやらこの話は眉唾らしいのです。
また、やや時代が下がった天保10年(1839年)の「天保佳話」(劉会山大辺甫篇)では狂歌師の大田蜀山人(おおたしょくさんじん)が「神田川」というウナギ屋に依頼され、「本日食べれば一年中無病息災」と宣伝したという説もあります。
一番確からしい話は文政年間(1818 - 1829)の「江戸買物独案内」という書物の「う」の部にあります。
文政年間夏のこと、神田和泉橋通りのウナギ屋、「春木屋善兵衛」の店に、藤堂というお殿様から蒲焼の大量注文がはいります。
一日ではつくりきれないので、子の日と、丑の日と、寅の日の三日間もかかって蒲焼を焼いたのです。冷蔵庫などありませんから、蒲焼を土かめに入れて、床下に保存しました。
納品の日に床下から出してみると、子の日と、寅の日に焼いた蒲焼はいたんでいて、丑の日に焼いた分だけが、美味しく食べられる状態でした。
この「春木屋善兵衛」のエピソードにより、「土用丑の日のウナギは美味しい」といわれるようになりました。そして、「土用丑の日は鰻を食べる」という習慣が定着したのだということです。
本当は美味しい鰻はいつ食べても美味しいんですけどね。天然物の鰻が一番美味しいのは、産卵をひかえて脂ののった、秋が一番美味しいらしいですよ。
おまけの雑学
鰻の名前の由来は、天然物の鰻は胸が黄色いのです。ですから、本来「むなぎ」と言われていたのが訛って「うなぎ」になったのです。養殖鰻は胸が白いんですよ。
家では毎年、帯広の地元スーパー「いちまる」の「海水うなぎ」を買っています。海水で育てたうなぎ、美味しいですよ。
したっけ。