都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
おっ!今週は鍋奉行ですか。「頼もしい」「うっとうしい」とかの問題ではなく、お奉行様はいなくてはならない存在だべさ。
鍋は、一種のイベントでないかい。イベントになくてはならないものって言ったら、司会者だべさ。鍋における、鍋奉行はイベントの司会者なんでないかい。
その司会者に、文句を言ったり、うなずいたりしながら食べるから、鍋は盛り上がるんだべさ。自分の食べたいものを自分で入れて自分で食うんだら、大勢で鍋を囲む必要はないんでないかい。
「いよっ、名奉行。」とか、「だめだよ、お奉行様。煮すぎだべ。」とかいいながら食べるからこそ、鍋はなまら美味しいんだべさ。
それが嫌なら、一人鍋をすればいいんでないかい。淋しいべさ、きっと。
というわけで、ちょっと意味合いは違うけど、「頼もしい」に1票。鍋を美味しくするか否かは名鍋奉行がいるかいないかにかかっているでないかい。
したっけ。
12月(じゅうにがつ)はグレゴリオ暦で年の第12の月(最後の月)に当たり、31日あります。
日本では、旧暦12月を師走(しわす)または極月(ごくげつ、ごくづき)と呼び、現在では師走は、新暦12月の別名としても用いられています。
「師走(」は当て字で、語源は以下の通り諸説あり、正確な語源は未詳であるそうです。
その主な由来に坊主(師・師には、僧侶の意味もある)が、お経を上げるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す(しはす)」があります。
この説は、平安時代の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に、「しはす」の注として説明されています。
現在の「師走」と漢字の意味も近く、古い説であるため有力に思いますが、「師馳す」説は民間語源説で、この説を元に「師走」の漢字が当てられたと考えられます。
また、本来は伊勢神宮や各地崇敬社の御師(神宮大麻・神札を配る祈祷師)達が各家庭を巡る事からであるとする説もあります。
その他、「年が果てる月」を意味する「年果つ(としはつ)」が変化したとする説。
「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説。
「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説。
また、「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」と万葉集巻第九~一六四八にあり、また、「十有二月(シハス)」と日本書紀にあります。
これからして、万葉・記紀時代には数字で書いて「シハス」と読み、「師走」とは表記しておりません。従って、「師走」は後世の当て字であることがわかります。
昔から十二月をシハスと呼んでいた、後で師走を当てたのだろうと言う説です。これは説得力ありますね。
「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」
平安末期の辞書。二巻または三巻。橘忠兼編。天養・治承年間(1144-1181年)に成立。当時の文書・変体漢文などに用いられる語句を、頭音によって「いろは」四七部に分け、各部はさらに意味によって天象・地儀など二一門に分ける。「伊呂波字類抄」一〇巻は、これを鎌倉初期に増補したもの。
辞書大辞林
ついでですから「晦/晦日(つごもり)」についても考えてみましょう。
「つごもり」は、月が隠れて見えない頃の意味から、「つきごもり(月隠)」の音変化と考えられます。
「月が隠れて見えない頃」とするのは、陰暦で月が隠れる頃が月末になるためです。
ただし、「つごもり」のように名詞「月」の「つ」は「月」の語源である「つく」で、「つくごもり」から「つごもり」に変化したと考えたほうが良いでしょう。
12月31日を「おおみそか」と呼ぶように、「つごもり」に「大」を冠して「おおつごもり」と呼びます。
それと、忙しいことを北海道では「せわしい」と言いますが、似てませんか「しわす」と「せわしい」。
したっけ。