都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
芸者の襟足は、白い化粧の塗り残しという形で、強調される。この化粧にはどのような意味があるのでしょうか。なぜ芸者は、襟を後方に大きく開いて、男に背中を見せるのでしょうか。なぜ襟足は、正月と八朔(はっさく)には、二本ではなくて三本になるのでしょうか。八朔(はっさく)とは陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。芸者の化粧に込められた意味を考えてみましょう。
芸者の化粧の塗り残しとはなにか・・・
芸者(芸妓)は、伝統的に、白塗りの厚化粧をします。その際、目の周りはぎりぎりまで白く塗るのに、髪の毛の生え際の周りでは、かなりの幅を取って、地肌を露出させます。その結果、肌が白いというよりも、むしろ仮面をしているかのような観を呈しています。
なぜこのような塗り残しをするのでしょうか。塗り残しの地肌は、裸であることを表しているらしいのです。確かに、それは、白い下着からチラリとはみ出た肌のようで、とてもエロティックに見えます。それは男性客の気を惹くには十分エロスなのです。
ところで、地肌は、とりわけ項(うなじ)において、大きく露出しています。しかも、それは、独特のWの形をしています。
なぜ項(うなじ)は日本の男の性欲の対象となるのでしょうか。項(うなじ)に下半身の擬態が形成される理由は何なのでしょう。そもそも、なぜ芸者は、胸を露出させないのに、背中を露出させ、首に意味ありげな化粧を施すのでしょうか。なぜかつての日本の男は、項(うなじ)に色気を感じたのでしょうか。
芸者は、背中が大きく露出するほどに、襟を下げています。問題は、背中でこれだけエロスを発揮する芸者が、なぜ前面でもっと胸元が見えるほど襟を広げてエロスを発揮しないのかというところにあるのです。
昔の日本人女性の乳房が小ぶりであったとか、着物が乳房を圧迫するような帯を締めていた話はおくとして、かつて、日本人は髷を結い、また、日本の母親は乳児を背中におんぶして育てたのです。子供は母の襟足を眺めながら育ち、その結果、乳房に代わって襟足が母子の絆を思い出させる対象となり、そこに性本能のエネルギーが観念に投入されている状態になったということなのかもしれません。
三本足の化粧とはなにか・・・
芸者の襟足の塗り残しは、通常、W字型の、二本足であります。ところが、黒紋付で正装する正月と八朔(8月1日)には、三本足にします。
二本足の塗り残しが女性の下半身を表すとするならば、二本足の間に追加された三本目の足は、本来は存在しないはずの女性のペニスということになります。つまり、これは、ファリック・マザー(ファルスを持った母)の紋様と解釈することができるのです。逆に言うならば、普段の二本足は、欠如の記号としてのファルスということになります。
「ファルス」とはギリシャ語で「ふくらんだもの」のことです。男性の性器、男根を意味する言葉。特に勃起した状態を指すのです。
では、ファリック・マザーとしての三本足は、なぜ、正月と八朔(8月1日)に現れるのでしょうか。旧暦の正月と八朔は、早春と初秋に相当し、かつて日本では、この時期に先祖が祀られたのです。後に、仏教の影響で、先祖供養は盆に行われるようになりましたが、この先祖供養は、本来は、早春と初秋に行われる豊作への祈りと感謝と無関係ではないのです。
秋に死ぬ植物も、春になったら、再び生命の息吹を取り戻します。だから、早春と初秋は、この世とあの世が橋で結ばれ、生命がその橋を通って、あの世に逝ったり、戻ったりする時期なのです。だから、早春と初秋には、死んだ祖先への供養が行われたのです。
あの世は、地母神(ちぼしん)の胎内と考えられたので、その橋は、ファリック・マザーのペニスということになります。そして、そのペニスは、正月と八朔という、あの世とこの世を結びつける橋が復活する日に、失われた母子の絆の思い出の場所である項(うなじ)に、三本目の足として描かれることで、復活するのです。
地母神(ちぼしん)の胎内は、黄泉の国と言われ、暗い場所であると考えられていました。だから、あの世を垣間見る正月と八朔(8月1日)には、芸者は、黒紋付(黒地に紋を付けた着物)を着るのです。葬式の時に、黒い喪服を着るのも、同じ理由なのです。
地母神(ちぼしん)とは大地の豊饒(ほうじょう)、生成、繁殖力を人格化した女神のことです。
したっけ。