都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「コーヒー」は英語で「Coffee(カフィー)」、独語で「Kaffee(カフェー)」、仏語では「Café(カフェ)」となります。
「コーヒー」の語源には二通りの説があります。
●エチオピア語言説
その語源はコーヒー原産国であるエチオピアにあります。「コーヒー」は長い間この国だけで栽培されてきました。その付近一帯は「kaffa(カファ)」と呼ばれる州で、コーヒーの名はこの地名に由来しているといわれています。
そこには、「コーヒーの木」があり、赤い果肉を食べる習慣が生まれました。それは、紀元前のことと言われています。
●アラビア語言説
そののち、アラビア語に「Qahwah(カフワ)」という語が生まれ、ワインを指すようになったとのことです。アフリカでは、コーヒーも、発酵させて飲まれていたようです。
コーヒーを飲むと、お酒を飲んだときのように体が興奮し、心身ともに元気になることから「カワワ」と呼ばれるようになり、これが「コーヒー」の語源とも言われます。
どちらが、本当なのかは分かりません。
13世紀、豆を焙煎し、抽出する「コーヒー」が生まれました。最初は、神秘的な飲み物として、修道僧だけが用いたと言われています。
その後、16世紀になってヨーロッパで「コーヒー」が飲用されはじめます。
こうして、コーヒー文化は、世界各国で花開きました。一杯のコーヒーが、人と人をつなぎ、文化をはぐくんでいるのです。
では、その起源はどうでしょう。これも、二つの説があります。
●ヤギ飼いカルディの話(エチオピア起源説)
この説は、レバノンの言語学者ファウスト・ナイロニの「眠りを知らない修道院」(1671年)に記されているもので、6世紀頃のエチオピア高原の話だそうです。
アビシニア(現エチオピア)にカルディという一人のアラビア人ヤギ飼いがいました。
ある日のことカルディは、放し飼いにしていたヤギ達が昼夜の別なくひどく興奮しているのを発見しました。
注意して観察していると、ヤギが牧草地に生えている灌木の実を食べると、騒がしく興奮状態になることに気づきました。
そこで、近くの修道院を訪ねてこの不思議な話を伝えると、院長も不思議に思い、その実の効能を自ら試してみることにしました。
食べてみると気分はみるみる爽快になり、体に活力がみなぎってきたのです。
これに驚いて彼は夜の儀式中に居眠りをする修道僧たちにも飲ませてみることにしました。すると効果てきめん。
それからは徹夜の宗教行事のときに睡魔に苦しむ僧はいなくなったということです。
やがて「眠らない修道院」の噂は国中に広まり、魔法の木の実が競って求められるようになったということです。
●僧侶シェーク・オマールの話(アラビア起源説)
こちらは、回教徒アブダル・カディの「コーヒー由来書」(1587年)に記されているお話で、13世紀頃のイエメン山中の話です。
アラビアのモカ(現イエメン)の守護聖人シーク・スシャデリの弟子シーク・オマールは、モカで祈祷師として人気を集めていました。ある日、モカ王の娘の病気を祈祷で癒したとき、オマールはこの娘に恋をしてしまい、これが王に発覚。オマールはオウサブという地に追放されてしまいます。
食べるものもなく山中をさまよい歩いていると、一羽の鳥が赤い木の実をついばんでは陽気にさえずっているのを見つけたのです。
その鳴き声があまりに美しかったので、思わず手をのばすと、木の枝々には花と果実があるだけでした。空腹だったオマールはこの果実を摘み取って洞窟に持ち帰り、スープを作ってみました。
すると、何ともいえない独特の香りがし、飲んでみると、疲れが嘘のように消え去って元気が回復しました。それがコーヒーだったのです。
その後、医者でもあった彼はこの実を使ってたくさんの病人を救いました。そして罪を許されて再びモカへ帰り、聖者として人々にあがめられたということです。
エチオピアは人類の祖先ホモ・サピエンスが住んでいたところでもあります。また、野生のコーヒーの木は、エチオピアをはじめアフリカ大陸のあちこちで見つかっています。ですから、大昔にエチオピアに住んでいた人々がコーヒーの赤い実を食べていても不思議ではありません。
14世紀になって「コーヒー」は初めて紅海を渡り、イエメンの港モカの名前をとったモカコーヒーとして、そこから広く苗木ともども、世界各地に輸出されたといわれます。
モカ(英字転写:Mokha、Mocha)はイエメン共和国の首都サヌアの外港で、15世紀から17世紀にかけてコーヒー豆の積出港として栄えた。
イエメン産のコーヒー豆は特に「モカ・マタリ(Mokha Mattari)」といい、イエメン北西部の高地産の豆です。
「モカ・マタリ」の「モカ」とは、イエメンの港町の名前です。「マタリ」とはイエメンの「バニーマタル地方」に由来する胡椒だそうです。「バニーマタル」というのはアラビア語で「雨の子孫」という意味で部族名だそうです。この名の通りバニーマタル地方は雨が降って適度の湿気があり、海抜も2000mぐらいでコーヒーの生育に適しているそうです。
このあたりのコーヒーの木は原生種に近いので、生み出される豆は素朴でありながら気品のある味わいで知られています。
この「バニーマタル地方」で採れるコーヒー豆を「モカ港」から積み出したものが「モカ・マタリ」なのです。
コーヒーの木の原産地はエチオピアですが、これを世界に広めたのはアラビア半島の商人達でした。そのため、モカはコーヒー発祥の地とされています。
モカから世界に広まったために「シェーク・オマールの話」ができたのだと思います。
私も毎日コーヒーを飲んでいます。もちろん「モカ」です。
昔、「コーヒールンバ」という歌がありましたが、これは「シェーク・オマールの話」ですね。
♪昔 アラブの偉いお坊さんが・・・
したっけ。