都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「ご縁がありますように」などと5円玉を縁起かつぎにお賽銭にすることがあります。
そんな5円玉の特徴と言えば、中央に「穴」が開いていることです。実は穴のある硬貨は世界的にも珍しいそうです。
どうして日本の硬貨に「穴」が開いているのでしょう。
「唐銭」、「明銭」、国内での和同開珎や中世以降の鋳造された古銭の多くは穴があいています。形から「鳥目(ちょうもく)」とも言われています。「銭緡(ぜにさし)」と呼ばれる紐を通して持ち運び、江戸期は100枚を百文、1000枚を一貫として通用させていました。
その際一文銭96枚の「緡(さし)」が100文として通用したそうです。4文は手数料であったともいわれ、96という数は2、3、4の各数で割り切ることができて便利なので普及した。この慣行を「九六銭(くろくせん)」、「九六百(くろくひゃく)」と称したそうです。
ぜに‐さし【銭差/銭緡/繦】
穴あき銭をまとめておくための、わらや麻のひも。百文差・三百文差・一貫文(千文)差などがあった。さし。ぜになわ。
大辞泉
その銭の穴は、ほとんど四角形です。
中国晋時代(紀元310年)ごろの『銭神論(せんしんろん)』(櫓褒著)にその理由が記述されています。
「昔神農氏が没したあと、黄帝の尭や舜は民に農業や桑を植えることを教え、幣帛(へいはく)※1をもととした。賢者や先覚者は時代の変化に通じ、銅山を採掘し、俯視仰観して、銭を鋳造した。銭の内の四角は大地を、その円形は天を象(かたど)った。なんと偉大なことか。銭の形は乾(けん)[天]あり坤(こん)[地]あり※2である。内側は方形で、外側は円形、積んだ姿は山のようであり、流通する姿は川のようである。動静には時あり、行蔵[流通と退蔵]には節度がある。市場ではきわめて便利で、耗折(もうせつ)の憂いもない。朽ちにくいのは長寿の象徴で、たくさん流通して乏しいということがないのは運行して息(や)まない道の象徴である。だから寿命は長久であって、世の神宝といってよい。親しく頼もしいのは兄のようであり、字(あざな)は孔方という。それを失えば貧弱となり、それを手に入れれば富強となる。翼なくして飛び、足なくして走る※3。いかめしい顔もほころばせ、無口な者の口も開かせる。銭多き者は前に居て、銭少なき者は後ろに甘んじる・・・」
※ 1幣帛:神に捧げるもの。
※ 2八卦:一は乾(天)、二は兌(沢)、三は離(火)、四は震(雷)、五は巽(風)、六は(水)、七は艮(山)、八は坤(地)となっている。
※ 3足翼なくして飛び、なくして走る:「お金に羽が生える」、「お足」の語源という説があります。
穴が何故四角形なのでしょうか。古代の中国では貨幣の円形は天を、四角は地を表現していると言われ、つまり貨幣の価値は天地に替わるとの意を表すので円形に四角い穴があると、いっています。
日本の寛永通宝など古銭もそのまま円形に四角い穴を採用しています。鋳造後の貨幣の「湯口(鋳造で、溶けた金属を鋳型の枠に流し入れる口)」を取り、やすりなどで綺麗に仕上げるときに、四角の穴に四角の芯を通してまとめて固定して、やすりをかけたり磨いたりすることができます。丸い穴だと芯が固定できないので製造上も極めて合理的な形状といえます。
このような鋳造法の銭を「枝銭」といいます。
また、中国の開元通宝を重量の標準として「一匁」としたそうです。この「匁(もんめ)」は、「真珠」取引の重さの単位です。1匁=3.75グラムで真珠の取引の時に使い ます。1000匁=1貫も国際的に通用しています。 身近な所では、「五円玉」がちょうど、 1匁(3.75グラム)あります。ちなみに、「1円玉」は1グラムです。
日本銀行金融研究所貨幣博物館。というサイトを調べたところ以下の記載がありました。
五円玉や五十円玉にはなぜ穴があいているのですか?
一番大きな理由としては、他の額面の貨幣と識別を容易にするためだと言えます。 明治4年に「円、銭、厘」という現代の貨幣制度になってから、初めて穴あき貨幣が登場したのは、五銭白銅貨が発行された大正6年のことですが、このときは誤用を避けるといった理由のほかに、偽造防止、素材金属の節約などの意味がありました。しかし、その後は、材料の価格以上に穴をあけるコストがかかるようになったため、節約の意味は失われるようになりました。
(1) 他の貨種と区別するため
(2) 偽造防止対策のため
(3) 原材料を節約するため
主に三つの理由があったようです。
現在使われている硬貨に穴のあいたのは、1949年(昭和24年)のことで、当時は5円玉のみ穴のあいた硬貨を使用しました。
理由は、目の見えない人でもわかるようにするためやデザイン的な問題もあるが、材料費節約の意味も大きかったようです。戦後の急激なインフレのため貨幣の材料を節約する必要があったのです。
それでは、50円玉は何故穴が開いているのでしょう。
最初に発行された50円貨幣は、1955年(昭和30年)発行のニッケル貨で、今の50円貨幣より大きく穴もありませんでした。しかし、当時の100円貨幣と紛らわしいということで穴があけられました。その後、100円が白銅貨幣になったとき50円も白銅に変更され、やはり区別のため形も小さくなりました。
現在発行されている50円硬貨は1967年(昭和47年)から発行されているものであり白銅で出来ているそうです。
穴が開いているのは、他の硬貨と区別しやすいようにというのが理由のようです。
したっけ。