都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

春というのは不思議なもので、日本では一年で一番心がうきうきするもののようです。
その典型が花見といったところでしょうか。もっとも、花を見に行っているのか、人を見に行っているのか分からないことがほとんどですし、人によっては花より団子ならぬ、お酒が目的なのかも知れませんけれど。
長屋あげて花見に行こうということになって、皆で弁当を作って出かけたものの、そこは貧乏長屋の住人。誰もお酒を買うお金がない。仕方ないから、お茶を「オチャケ」と称して、花見をはじめます。
「一升ビンをご覧、色はよく似ているが、番茶をな・・・」
「番茶なんか、いりませんよ、向こうへ行けば茶店が出ていますから・・・」
「いやいや、番茶を煮だして、水を薄めてみたんだよ、どうだい、良い色だろう。」
「はーはー、これお茶けですか。向こうへ行ってお茶か盛り、ああ悪い趣向だ。ええ、重箱を開いてみろ。」
「あの、重箱は本物でしょうね。」
「馬鹿なこと言うな、こっちに本物を使うくらいなら幾らかでも酒の方に回すよ。」
「へえ、蒲鉾ってのは何です。」
「蒲鉾か、大根のこうこを月形に切ったもんだ。」
「大根のこうこを、あーはー、それじゃー卵焼きていのは沢庵じゃないんでしょうね。」
「当たったよ。」
・・・てなことで、皆でわいわいと始まります。
「酒は吟味したんだよ。灘の生一本だ。」
「ああ、灘ですか、わっしは、宇治かと思った。」
「宇治って言うのはあるか。どうだい口当たりは、甘口か、辛口か。」
「渋口って言うのはないよ。酒がいいから頭にこないだろう。」
「頭には来ませんね、そのかわり小便が近くなるね。」
「いやな酒だな、おい、しかし嬉しいよ。うん、酔ってくれたのはお前だけだ。酔った心持ちはどんな心持ちだい。」
「そうだね、去年の夏、井戸におっこった時と同じような心持ちだね。」
「変な心持ちだね、さあさあ、どんどんお酌してやんな。」
「あああ、こうなりゃやけだ。ああ、いっぱい注いでくれ、あー、あー、ああ、派手にこぼしたってもったいない酒じゃないや。へえ、大家さん、近じか長屋に良いことがありますよ。」
「そうかい。」
「ご覧なさい、酒柱が立ってら。」
お馴染みの落語「長屋の花見」をかいつまんで書いてみました。
「花見」の起源は、奈良時代に中国から伝わってきた梅を貴族が観賞したのが始まりといわれています。その後、平安時代頃から、観賞の対象が梅から桜へと変わっていきました。
庶民にも広まったのは、江戸時代。徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、庶民の日頃の不満を解消させるために花見を奨励してからと言われています。
しかし、数ある花木の中でなぜ桜が選ばれたのでしょう。江戸時代には「花は桜木、人は武士」という言葉もあったようですが、それほどまでに日本人の心をとらえた背景とはなんでしょう。
まず、桜は古くから日本人の生活に密接にかかわる植物でした。科学的な温度観測ができなかった時代には、桜の開花が農業開始の指標となっていたのです。
また、寒い冬をしのいだ後、一番初めに春を告げるのが桜の開花ということで、桜が咲くのを待ちわびる人が多かったことも関係していると考えられます。
その美しさだけでなく、長い歳月の中で日本の暮らしになじんできた花木だからこそ、こんなにも日本人の心をとらえているということです。
北海道のお花見は5月です。
したっけ。