都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
傘といえば、日本では雨降りにさすものと相場が決まっています。しかし、傘が誕生した本来の目的は日よけであり権威の象徴でもありました。
傘が使われ始めた時代は、約4000年前からと言われています。
エジプト、ペルシャなどにも傘の彫刻画や壁画に残っています。ギリシャでは祭礼のときに神の威光を表すしるしとして神像の上にかざしていたそうです。
紀元前7世紀、古代のアッシリアの壁画に、国王の頭上に天蓋のようにかかげてあるのが描かれていいます。
インドでは傘はもともと酷暑の貴族や高僧の日除けに使われていて、吉祥をもたらす八つの物の一つと数えられている。八吉祥とは、「傘」、「黄金の魚」、「瓶」、「蓮華」、「法螺貝」、「無限の紐」、「勝幡」、「法輪」だそうです。
7世紀にインドから渡ったチベット仏教に「大白傘蓋佛毋(だいはくさんがいぶつぼ)」という手に傘蓋をもっているご本尊がある。その傘は仏の功徳のすべてを包み込み、邪悪なものを人から遠ざける働きをもつといわれています。
日本には、仏教伝来とともに傘蓋が伝わってきた記録が残っている。欽明天皇13年(552)百済の聖明王の寄進によって、金の仏像、仏教書などとともに「蓋(きぬがさ)」が伝えられました。
以来、布を張った長柄の傘が「きぬがさ」の名で、貴族や僧侶などの上流階級の間に広まったそうです。
古代では東西いずれにも共通して、傘が貴い人を強い日差しから守ることが目的であったと同時に権威の象徴であったともといえます。
英語の「Umbrella(アンブレラ/傘)」の語源は、はラテン語の「Umbra(ウンブラ/日陰)」だそうです。それがイタリア語で「Ombrella(日傘)」になり英語のアンブレラになったそうです。今では、英語のアンブレラは主に雨傘の意味となってしまいました。
「Parasol(パラソル/日傘)」の語源は、ラテン語の 「 parare (防護する) 」と「 sol (太陽)」だそうです。イタリア語の「 parasole(パラソーレ) 」から英語に移入されたそうです。
現代フランス語では、「Ombrelle(オンブレィユ)」は婦人用の小さい日傘を、「Parapluie(パラプリュイ)」は字義どおり雨よけを指す用語として明確に区分されているそうです。
日本語では、古来「かさ」とは「笠」を指し、「傘」は「差しがさ」と呼称しました。「笠」は、柄がなく頭にかぶるものでした。それに対し「傘・簦」には柄(え、から)があり、「からかさ」とも読みます。
から‐かさ【傘/唐傘】
《唐風のかさの意》割り竹の骨に紙を張って油をひき、柄をつけてろくろで開閉できるようにしたかさ。さしがさ。
大辞泉
頭上を防禦するための傘を「さす」は、「刺す」ではなく「差す」です。
日本では100円(105円)で傘が買えるようになり、上流階級ものだったことが嘘のようです。
<世界の傘の歴史>
ギリシャ時代 |
貴婦人たちが日傘を従者に持たせて歩いている絵では、開いたままですぼめる事が出来ない傘でした。 |
13世紀 |
イタリアで作られたといわれる、親骨(フレーム)に鯨の骨や木を使った日傘がスペイン・ポルトガルに広がりました。 |
1830年 |
イギリスで最初の傘屋は「James Smith and Sons」といい、傘とステッキを販売する店でした。傘の手元をステッキの形に似せて売り出しました。現在、傘のパーツの名称がステッキと同じなのはここに始まったからのようです。 この頃、骨に断面が長方形の鋼鉄製の傘が誕生しましたが、とても重く使いづらかったようです。 |
1533年 |
フランスにはフィレンツェのメディチ家のカトリーヌがアンリ王子(後のアンリ2世)に嫁いだときに伝えられたといわれています。 この当時の傘は、婦人用の日傘として使われたもので、男性が傘を使うことはあまりなく、洒落男が女っぽく装うために使うようなものだったそうです。 |
18世紀 |
イギリス人のジョナス・ハンウェー(Jonas Hanway)がペルシャを旅行中に見つけた中国製の傘を雨傘として使われたのに感激し、広めようとおもい防水を施した傘をさしてロンドンの街を歩いたそうです。 当時の男性は、帽子で雨をよけるのが当たり前でしたので、雨具として男性が傘を使うことは奇異なことでしたが、ジョナスが約30年間も雨傘として使い続けたことで、次第に受け入れられるようになったそうです。 |
1852年 |
イギリスでサミュエル・フォックス(Samuel Fox)が鋼鉄製のU字型の溝骨を発明し、これで骨組の鋼材を軽く、美しいカーブを作り、ぴったり折りたたむことが出来る為ステッキ代わりにもなるということで大いに広まりました。特許を取り、英国スティール社を設立し各国に「傘骨」を輸出しました。 以降、傘は実用品として世界中に普及されていきました。 |