江東区佐賀町は墨田川に隣接し、肥料の集積地であった。江戸の東部の水運網の中心に存在し、地方より江戸に来た船に積まれたり、房総から干し鰮等の魚肥が風によって肥料を積んだ船が江戸湾を横切ってきた。糠も酒造による精米過程で生じた大阪糠・尾張糠等の糠が舟運によって佐賀町周辺に集積していた。佐賀町に集まった肥料の魚肥は関西に帰る舟に積み、阿波の藍、木綿の栽培の肥料にされたと思われろ。関西から来た糠は河川の便で関東各地に運ばれた。佐賀町は物資流通の要であった。江東区深川図書館の中に郷土資料室があり江戸から明治時代にかけての肥料史の文献がある。なぜ、このような資料が深川にあるのかは(東京肥料史)深川図書館・所蔵を読むと解る。
関東各地から集まった、米を初めとする穀物、油、肥料(江戸時代にはイワシを原料とした《干鰯(ほしか)》)なども、佐賀町を中心とした倉庫街に集積された。明治に入っても、米を中心とした物資の集めた倉庫街の性格は変わらない。2002年まであった食糧ビル(深川正米市場跡・佐賀1-8-13)は、その名残である。
関東各地から集まった、米を初めとする穀物、油、肥料(江戸時代にはイワシを原料とした《干鰯(ほしか)》)なども、佐賀町を中心とした倉庫街に集積された。明治に入っても、米を中心とした物資の集めた倉庫街の性格は変わらない。2002年まであった食糧ビル(深川正米市場跡・佐賀1-8-13)は、その名残である。