年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

たくわん王と呼ばれた男2

2006年04月06日 | タクワン
シナ事変が始まり、又蔵が昭和15年亡くなった時には海外輸出は割り当てになり物資の統制が始まり、働き手は戦場に取られ経済が窒息状態になった。
戦後,悪性インフレと農地改革,財産税というもので苦労し、大野家の所有する20万坪の大根原料産地を農地改革で失った。また。大根を栽培していた東京都中野区鷺宮付近の農地は宅地化し大根原料産地を他のところに求めねならなかった。また、大口需要だった得意先の軍隊は消滅し、空襲で破壊された都市には工場や学生の寮は消えた。又蔵の息子たちは戦後の混乱をやっとのことで切り抜けたが土地の値上がりと相続税でどどめをさされた。今は都内の沢庵製造業者は皆無に等しい。

コメント (2)
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