タバコは日本には天正~慶長年間(16世紀末)にポルトガルによって伝え持ち込まれ、国内で大流行を起こす。江戸時代始め寛永年間(1624~44)には、煙草栽培の特産地も現れ、喫煙人口も急激に増加していた。慶長17年(1612年)には最初のタバコ禁止令が出ている。 そのような時代の中で、いち早く健康に与える喫煙の害を説いたのが、沢庵和尚である。 沢庵は寛永11年10月7日柳生宗矩あての手紙で、タバコ栽培は米作りの減少を招くし、健康に良くないので禁煙の必要性を説いた。胸を患っていた柳生宗矩にたいしては「タバコ御止め候はずば、胸の痛み止み申間敷候、タバコにて、かくに皆々成申候」、と書き記し、健康のために禁煙をすすめている。
4月6日NHKドラマ”柳生十兵衛・島原の乱”を見て
柳生宗矩は島原の乱を如何に重視していたか彼の危機感がわかる。寛永12年・寺社の御用や訴訟を司る後の寺社奉行に担当する役職に分化していたのに、島原の乱(キリスト教・宗教問題の深さ)の以後の世情安定について、但馬に隠居していた沢庵を江戸に呼び出し、品川・東海寺設立し、沢庵和尚の宗教問題対しての意見が必要であったと思われる。
4月6日NHKドラマ”柳生十兵衛・島原の乱”を見て
柳生宗矩は島原の乱を如何に重視していたか彼の危機感がわかる。寛永12年・寺社の御用や訴訟を司る後の寺社奉行に担当する役職に分化していたのに、島原の乱(キリスト教・宗教問題の深さ)の以後の世情安定について、但馬に隠居していた沢庵を江戸に呼び出し、品川・東海寺設立し、沢庵和尚の宗教問題対しての意見が必要であったと思われる。