年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

沢庵漬の名称と文献3

2006年04月25日 | タクワン
耳袋 根岸鎮衛(やすもり)著
江戸時代の町のウワサ話などを集めたものです。沢庵漬の由来の話では大抵"耳袋”の話が引用されている。
沢庵漬 
公事に寄りて品川東海寺へ至り、老僧の案内にて沢庵禅師の墳墓を徘徊せしに、彼老僧禅師の事物語りの序に、世に沢庵漬といふ事は、東海寺にては貯漬と唱へ来り候趣、大猷院様品川御成之節、東海寺にて御膳被召上候節、「何ぞ珍敷物献じ候様」御好みの折から、「禅刹何も珍舗もの無之、たくわへ漬の香の物あり」とて、香の物を沢庵より献じければ、「貯漬にてはなし。沢庵漬也」との上意にて、殊之外御称美有りし故、当時東海寺の代官役をなしける橋本安左衛門が先祖、日々御城御台所へ香の物を青貝にて麁末なる塗の重箱に入て持参相納けるよし。今に安左衛門が家に右重箱は重宝として所持せしと、彼老僧の語りはべる。

仕事のついでに品川の東海寺に寄り、老僧の案内で沢庵禅師の墓を訪ねた。老僧が禅師の逸話を語った。
「世間で沢庵漬と漬物は、当寺では(貯え漬)と呼んでおります。大猷院様(徳川家光)が品川にお成りの際、東海寺で食事を召し上がられたことがございました。『何か珍しいものはないのか』とのお申し付けに『禅寺ゆえ何も珍しいものはございませんが保存食(貯え漬)の漬物がございます』と沢庵が献じましたところ、「貯え漬ではなかろう。沢庵漬じゃ」と、ことのほか褒めて頂きました。
 現在東海寺の代官役橋本安左衛門の先祖が青貝細工の粗末な塗りの重箱に納めた沢庵漬を御城の御台所へ日々持参したということでございます。この重箱は安左衛門の家に家宝として伝わっております
品川区歴史博物館の学芸員の話では今でも東海寺ではタクワンの漬物を「貯え漬」と言っているそうだ。
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