年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

リサイクル食品の歴史

2006年04月10日 | 宅老のグチ
江戸時代は、循環型社会と言われるように、下肥は「金肥」として有価で引き取られ、灰は酒造や製紙過程で使われるほか染色やカリ肥料に、道具類で壊れたものは修理し、古くなったものも何らかの再利用を図るなど徹底した節約が行われ、処理すべきゴミがほとんど出なかった。

沢庵漬はリサイクル食品でした。米糠は米を精米したとき出たもの、大根は生大根が出来すぎたのを捨てずに干して使い、容器の樽は酒造の古くなったもの等、リサイクル食品の極致でしょう。

 「汚物清掃法」が、明治33年に公布されます。公衆衛生が目的でした。汚物清掃法は公衆衛生の考えが優先され、江戸時代から続いていた循環型社会の思想から使い捨ての思想に変わりました。
 戦後、高度成長期に入って大量の廃棄物が出るようになり、衛生的に減量できるということで焼却主義の原則がとられます。そして、昭和45年(1970年)廃棄物処理法が制定され、産業廃棄物の概念が導入されました。

 リサイクルの概念が法律上初めて登場するのは、平成3年の再生資源利用促進法からです。平成7年に容器包装リサイクル法が制定され、平成12年は、循環型社会形成推進基本法が制定され、リサイクルの前に、発生抑制(リデュース)、再使用(リユース)が優先する3Rの考え方が取り入れられます。平成13年は食品リサイクル法(5月施行)と次々と新しい法律が出来ました。対応が大変です。新しい豊洲は循環型環境問題の対応への予定をしています。
 
コメント
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