年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

たくわん王の背景 明治・大正期の報告

2006年04月05日 | タクワン
沢庵漬に関する調査 農林省農務局 昭和2年
沿革と概況
沢庵漬は各種漬物中の第一位を占め、都鄙(都会や田舎)を論ぜず貴賎を問はず、本邦人は日常生活上に必需副食物たり。その起源については詳に知ることあたわずといえども、一般に、昔・江戸品川東海寺の住職沢庵禅師の発明により、その名称・またこれに起こりしものなりと称せらる。然れども一説には、沢庵禅師は単にこの製造方法を広く宣伝普及したるにして、その名称は(貯え漬)の転じたものと称せらる。
従来・沢庵の製造は一般家庭に於いて行われ都会に於いても購入するもの僅かにして,従ってこの製造販売は比較的少量にしたり、明治中頃にしても、わが国における沢庵漬の最大の消費地・京阪市場においてすら、卸問屋の看板を掛けたるものは稀でにして小売業者もまた少数にすぎない状態なり、然るに戦争後にいたり、大いに需要増加し、特に元来沢庵漬けは丸乾大根単に糠と塩とに漬けたるものなりしが、近年、麹・砂糖・甘草・酒粕・昆布・煮干等の調味料、蕃椒(とうがらし)その他の香料・オーラミン等の着色料を用いて・品質・香味・色素等を佳良ならしむるもの多きにいたり。尚一方においては、沢庵漬を原料として粕漬その他加工品を製する等、幾多の改良製品を見るにいたりし結果、都市においては従来家庭にて漬け込みたるものが、次第に販売品を購入するに到り、今後ますます需要増加の傾向にあり、而してその供給は沢庵漬専門に多量製造するもの少なからず。農家の副業生産品もまた多い。

干し大根栽培農家 7000戸
沢庵製造農家   1000戸 20万樽 1樽約70kg入
非副業(専業)   200戸 40万樽

オーラミンとは人工着色料で戦後まもなく使用が禁止された。
コメント
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