年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の日本橋魚河岸の衛生状態

2006年04月08日 | 築地市場にて
明治以後の廃棄物処理に関する法制度
明治初期も、都市の廃棄物処理は江戸時代とさほど大きな違いはなかった。幕末から明治の度重なるコレラや伝染病流行の発生を予防するためには、「公衆衛生」が重視され、先ず生活環境を保持する必要があるとの考えから汚物清掃法・下水道法が制定された。新鮮な青物を扱う京橋大根河岸市場は、魚河岸に負けないくらい威勢のよかった反面、ここに集まるハエがものすごく、またワラや土などのゴミ類の山も多く、"銀座の隣にこんなところが"と思われる所で不衛生でもあったようだ。 また、日本橋魚河岸の衛生状態は最初の市場移転問題発生の起因の一つである。平成の現在、築地中央卸売市場とその周辺で発生するゴミの量は膨大です。

汚物清掃法 明治33年(1900年)
汚物清掃法は土地の清潔を維持することを目的とし、塵芥、汚泥、雑排水、し尿をその対象とした。この法律により汚物の掃除が市民の義務となり、その処分が市の義務となった。
汚物の掃除義務は個人と市に分けられ、市は個人の監督機関及び監督方法を定め、個人が義務を怠った場合の罰則を規定。但し、汚物のうち屎尿については市の処理義務を除外。これは、屎尿は汚物であるが同時に金銭で取引された有価物(肥料)であるという実状に基づいたもの。
法律第31号 汚物掃除法(明治33年3月6日)
第一条 市内ノ土地ノ所有者使用者又ハ占有者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ地域内ノ汚物ヲ掃除シ清潔ノ保持スルノ義務ヲ負フ
第二条 市ハ本法其ノ他ノ法令ニ依リ別段ノ義務者アル場合ヲ除クノ外其ノ区域内ノ汚物ヲ掃除シ清潔を保持スルノ義務ヲ負フ
第三条 市ハ義務者ニ於テ蒐集シタル汚物ヲ処分スルノ義務ヲ負フ但シ命令ヲ以テ別段ノ規定ヲ設クルコトヲ得
第四条 市ニ於テ全條ノ處分ヲ為シタル為生スル収入ハ市ノ所得トス
第五条 地方長官ハ掃除ノ施行及實況ヲ監視セシムル為必要ナル吏員ヲ市ニ置カシムルコトヲ得
第六条 常時吏員ハ掃除ノ實況ヲ監視シ必要ナル事項ヲ施行スル為其ノ事由ヲ告知シテ私人ノ土地ニ立入ルコトヲ得

下水道法(法律第32号)
 「下水道法」によって定義づけられた下水道の目的は単に土地の清潔を保持すること
大正7 年は肥料史の一大転機であった。徳川時代から農民は金銭や野菜等と交換でし尿(下肥)を汲み取っていたものが、大正7年から衛生上の理由や化学肥料が生産されるようになってし尿の需要が停滞し、値段が下落して、ついにそれまで有価だったものから汲み取り代を徴収するようになり、行政がし尿収集を行うようになった。
1. 大正7 年・当時諸物価が値上がりし労賃の高騰したこと。
2. 下肥売上金額の低下で下肥代金を払っていたのでは営業上の採算が合わないこと。
3. 農民の生活が豊かになり、化学肥料利用に走り、取り扱い上手間のかかるし尿を敬遠したこと。が原因になった。

その後、下水道の必要性を感じていなかった都市行政は"し尿"処理の問題が大きくなった。
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