年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

お茶漬と漬物

2006年04月14日 | 趣味としての漬物
ご飯の上に漬物を乗せて熱い茶をかけてご飯を食べる。
茶漬の具に魚が多い。茶によって生臭さが消える。湯漬の伝統。湯漬とは、干飯に湯をかけて食べる簡単な食事です。強飯は米を甑(こしき)で蒸したものでこれを乾したもので干飯といいます。

番茶と日本人 中村羊一郎著より
茶の木は植え替えしにくい。特に種から育てた茶樹の根は真っ直ぐ伸びてしっかり大地に食い込み、土地の境界の目印にも生かされる。
茶粥
番茶を煮出した汁で炊いた粥
番茶を茶袋に入れ、十分に煮出す。
茶碗
ご飯を盛るのが茶碗
お茶を飲むのが湯のみ
茶飯
茶汁でもって炊いた塩味の付いたご飯のことを言う。
奈良茶飯(ならちゃめし)の起源
 ①東大寺と興福寺の寺領から納められる上茶を煎じて初煎(初めに入れた茶)と再煎(二番茶)に分け、再選のお茶に塩少量を加えて飯(めし)に炊き、蒸らした後に初煎の濃い方に浸けて食べるのが本来の茶飯であったといわれている。「茶めし」は、もともと奈良の東大寺や興福寺などで修行僧の食事に出された食べ物と言われる。
②江戸では明暦の大火(1657)後、浅草の待乳山聖天門前にこれを売る店ができたのが最初で、料理茶屋(今のレストラン)の祖となった。
『西鶴置土産』による。飯碗に豆腐汁、煮豆などをそえて出した一膳飯のことで、
万年屋茶飯屋跡
  川崎市の新六郷橋の車道の下を潜り、第一京浜国道の右側に出ると、旧街道沿いに万年屋跡の案内板がある。「江戸名所図会」にも紹介されている有名な奈良茶飯の万年屋があったところ。なお、奈良茶飯は、大豆、小豆、粟、栗などと共に茶の煎じ汁で炊き込んだ飯で、これに六郷川で採れたシジミの味噌汁が付いていたという。

明治政府は茶の品種改良によって輸出振興を図った。各地の茶は整理され、静岡茶の品種のみ栽培振興された。飲む茶が優先され、食べる茶は静かに消えて行った。
コメント
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