年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

言葉に残る

2008年04月02日 | 福神漬
言葉に残る
出会い系サイトと言う言葉がある。この言葉はいつごろから使われたか知れないが上野不忍池のほとりにあった茶屋が出会茶屋と呼ばれていて度重なる規制で消えていった。川柳に残る様子はかなり繁盛していたと思われる。
 寛永寺周辺は今でも江戸の昔でも観光地・行楽地であって人出が多く・上野の広小路は興業地として繁栄していた。やがて谷中の七福神めぐりが始まり、明治になって福神漬が地域の特産物として命名されていった。福神という名称は上野の付近の縁起のよい名前として知られていたのではないのだろうか。今でも販売する商品の名前で売れ行きが変ることがある。特に必需品でない食べ物の販売には工夫努力が必要となる。
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