年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

馬越恭平と芸能人

2008年04月27日 | 築地市場にて
馬越恭平と芸能人
馬越が支援した芸能人は三遊亭円朝と清元お葉と五世の清元延寿太夫だった。特に清元延寿太夫は馬越が三井物産横浜支店長時代のときに馬越の下で働いていた縁でヒイキをしていた。(馬越恭平翁伝より)。また三井物産横浜支店長時代(明治10年代)京浜の花柳界(芸者を呼ぶことができる料理屋と待合茶屋)で悪友仲間として福地源一郎・益田克、高梨哲四郎、浅田正文・朝吹英二だった。すでに横浜時代に馬越と浅田は付き合いがあったことになる。
また清元延寿太夫は三井物産設立時に横浜富貴楼のお倉が井上馨に頼んで15歳の時に小僧として創立間もない三井物産に入った。三井物産は全部で社長益田孝を含めて5人しかいなかったという。仕事をしつつ兜町の清元菊寿太夫に通った。19歳の時、三井物産横浜支店に転勤となり支店長の馬越恭平と親密となる。明治18年、清元延寿太夫24歳のとき三井物産を辞める。(延寿藝談より)
 三遊亭円朝の落語(七福神もうで)に出てくる人物の人間関係がここで繋がる。

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