橋本竜太郎著 馬越恭平から
岡山県のあるサイトは馬越氏の略歴は帝銀となっているがこの省略の仕方だと帝国銀行と間違われる。橋本竜太郎氏の馬越恭平の本では帝商として記述されている。帝国商業銀行の略称としてこの方がよいのでしょう。
橋本氏の本では馬越はビール事業より帝国商業銀行のほうが熱心に仕事をしていたが明治41年に帝国商業銀行の会長を退いてビール事業に向ったと言う。馬越と浅田は帝国商業銀行の混乱が辞任の理由となっているがこの件に関しての記述がない。帝国商業銀行の名前は大正年間に消えている。戦後の人達には帝銀と略されると、帝銀事件と同一の銀行と思われそうだがまったく別の銀行である。それほど明治大正は昔の話となってしまった。
岡山県のあるサイトは馬越氏の略歴は帝銀となっているがこの省略の仕方だと帝国銀行と間違われる。橋本竜太郎氏の馬越恭平の本では帝商として記述されている。帝国商業銀行の略称としてこの方がよいのでしょう。
橋本氏の本では馬越はビール事業より帝国商業銀行のほうが熱心に仕事をしていたが明治41年に帝国商業銀行の会長を退いてビール事業に向ったと言う。馬越と浅田は帝国商業銀行の混乱が辞任の理由となっているがこの件に関しての記述がない。帝国商業銀行の名前は大正年間に消えている。戦後の人達には帝銀と略されると、帝銀事件と同一の銀行と思われそうだがまったく別の銀行である。それほど明治大正は昔の話となってしまった。