年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日露戦争時の遊郭吉原での大演説

2008年04月21日 | 福神漬
日露戦争時の遊郭吉原での大演説
馬越恭平翁伝より
日露戦争時において、サッポロビールが東京に売り込みのため吉原遊郭の経営者・芸者・女郎を集め大宴会を開いた。そのとき壇上に立ったサッポロビールの専務は『諸君、いまやわが国は未曾有の国難に会している。軍国資金として金は特に重んじなければならない。
 ところでこれからはビールの飲む季節である。諸君、東京の人は去年までエビスビールとかキリンビールを飲んでおられたようであるがこの非常時、今からそのようなことを止めるべきである。エビスやキリンは外国の材料を日本の金で仕入れて製造したものである。従って飲めば飲むほど貴重なお金を浪費していることになる。
 そこである北海道で栽培した大麦で作ったサッポロビールを飲むべきである。これまでサッポロで醸造していて馴染みはないが、実は(明治)30年吾妻橋のそばに工場を建設しようやくこのたび落成を見たので、本年夏からサッポロビールを飲んでもらいたいと思うのである。吉原浅草は地元ともいえるのでよろしくお願いいたします。』
 日露戦争でも砂糖とか貴重な外貨を浪費すると思われていたものは節約を強制されていた。この演説だと明治37.38年の吾妻橋工場稼動となるが史料では明治33年ともある。吾妻橋付近にビール工場が作られたのは原料を水運で運ぶためと書いてあったが、浅草等の行楽地が付近にあったことも立地条件の一つと考えられる。この吾妻橋工場は今はアサヒビール本社となっている。

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