年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸の出合茶屋 花咲一男著をよむ

2008年04月15日 | 福神漬
江戸の出合茶屋 花咲一男著をよむ
出合茶屋とは江戸時代半ばに上野不忍池の周辺に出来た今風に言えばラブホテルということになる。江戸の出合茶屋はその特色として女性姿が目だっていたようで川柳にも現れている。池之端と言えば今の新宿歌舞伎町のようにいかがわしい所と明治の時代まで広く知られていたと思われる。
 あまりの風紀の乱れは寛永寺や幕府の怒りを誘い、各種の茶屋はとり壊されもした。しかし、時間が経つともともと寛永寺参詣の人達の便宜を図るため発展した盛り場は元の姿に戻っていった。天保十二年(1841)この水野忠邦の改革により取り潰しまで続いた。彰義隊と新政府軍との戦いで上野周辺の盛り場はその勢いを再びなくしたようである。
 寛永寺から店名を貰った『酒悦』は店主の努力によって天保の改革から明治前半の混乱期を潜り抜け福神漬を創生し様々の営業努力によって今に残っている。
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