カレーライスの誕生 小菅桂子著をよむ
福神漬の史料の少なさか常陸丸の事件の記述に誤り(115頁)があって、ドイツの巡洋艦に襲われて外国人乗客のほとんどと117名の乗組員がインド洋の藻屑と消えていると書いてあるが実際はそんな人数の人々が死んだわけでなく、捕虜となって翌年無事に帰ったのである。大正6年にインド洋で行方不明となり、大正7年2月に捜索から帰った人々が発見した東京池之端・福神漬・酒悦の焼印のある木箱を持って帰ってきたため遭難を確信したが、翌3月になるとドイツに常陸丸の乗客乗員が捕虜となっている報道が出てきて郵船関係者がほっとしたところ、再度悲劇的な常陸丸船長の自殺と言う報道があって、新聞紙上をにぎわしていた。郵船の捕虜となった船員が日本に帰った頃は報道の扱いも少なく郵船の社員に福神漬を食べるとき常陸丸の悲劇を思い出させただろう。後の第二次大戦で戦地に物資輸送の任に当たった日本商船は戦火にあって死去しても語られることも少ない。
福神漬の史料の少なさか常陸丸の事件の記述に誤り(115頁)があって、ドイツの巡洋艦に襲われて外国人乗客のほとんどと117名の乗組員がインド洋の藻屑と消えていると書いてあるが実際はそんな人数の人々が死んだわけでなく、捕虜となって翌年無事に帰ったのである。大正6年にインド洋で行方不明となり、大正7年2月に捜索から帰った人々が発見した東京池之端・福神漬・酒悦の焼印のある木箱を持って帰ってきたため遭難を確信したが、翌3月になるとドイツに常陸丸の乗客乗員が捕虜となっている報道が出てきて郵船関係者がほっとしたところ、再度悲劇的な常陸丸船長の自殺と言う報道があって、新聞紙上をにぎわしていた。郵船の捕虜となった船員が日本に帰った頃は報道の扱いも少なく郵船の社員に福神漬を食べるとき常陸丸の悲劇を思い出させただろう。後の第二次大戦で戦地に物資輸送の任に当たった日本商船は戦火にあって死去しても語られることも少ない。