年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の池之端はどんな風に思われていたか

2008年06月02日 | 福神漬
明治の池之端はどんな風に思われていたか
明治以前の池之端は出合茶屋(今風の言葉で言えばラブホテル)の多くあったところと思われていた。江戸時代中頃、寛永寺の裏と言うか谷中の笠森おせんの茶屋が有名で賑わっていた。丁度明治の御一新の100年前のことだったが江戸時代の浮世絵師・鈴木春信が美人画のモデルに遊女でなく素人の「笠松お仙」を起用したところ江戸一番の美人と評判になって谷中がにぎわったと言う・鈴木春信は、色をつけた浮世絵“錦絵”の創始者として知られています。
 「笠松お仙」が消えるとまた谷中は静かになった。特に下谷区茅町のあたりは上野広小路の裏にあたり人の出入りも少ないところで静かであったという。しかし池之端から谷中にかけては風俗の町として明治の世間には見られていただろう。台東区の古老の話では明治の頃は妾宅が多かったという。
 途切れ途切れの福神漬の歴史で時代時代によって書き手にとって不都合な歴史や瑣末なことは記録されず、結果として連続性のない福神漬の歴史となる。残念。
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