年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治中期までの質素倹約

2008年07月23日 | 福神漬
明治中期までの質素倹約
明治百話 篠田鉱造著より
旧幕の武家時代の家風が明治の家庭に伝わって質素倹約が基本でした。特に山の手では武家上がりの士族商法の家が多く、質素倹約をしつけられていました。
べったら市の調査をしていた時『江戸買物独案内』に丸藤問屋と言うものがありました。日本橋本町の薬種問屋と同じようなとことにあったので砂糖の歴史用語かと思っていたが『江戸買物独案内』の索引は『と』のところに丸籐問屋があった。
幕末武家では内職をしていたようで藤細工の内職をかなりしていたようである。青砥(あおと)藤綱の逸話が引用されていたが直ぐには誰だがわからなかったが京成電車の青戸駅の名前に関係する。
 少なくとも明治中期までは東京の人々の食生活の基本は自給自足に近いもので官僚・学生・軍隊等の需要が漬物の消費を支えていただろう。村井弦斎『食道楽』などはもっと遅く明治の終わりころの話で漬物を漬けることは女性の常識とされていた。

青砥藤綱が川の底に落ちた十銭を、五十銭のたいまつを買って二人の家来らに捜させるくだりがある。「無駄な出費」と笑う人に、わずかなカネでも、そのままにすれば長く天下の宝を失うことになる、と諭したという藤綱の有名なエピソード。
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