年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

春城師友録 市島春城著

2009年05月09日 | 福神漬
春城師友録 市島春城著
奥村繁次郎のこと
大正8年12月16日にチフスで亡くなったという。蔵書家で名が通っていた芋繁は御徒町で焼き芋屋をやっていた。今の東京でもやっていることだが路上にある植木鉢にローマ字で書いてある木札がさしてあった。
 芋繁は商売柄、植物学を極め、研鑽造詣が深く、したがって食物料理に通じていて、食物博士などと呼ばれていて漬物の本も何冊か書いている。
 湯島天神下に移って『食物辞典』などの編集に取り掛かっていた頃、髭を生やしたころから商売が不調となっていったという。学者先生になってイモの仕入れが甘くなって不振になったという。

根岸党のなかに楢崎海運という人がいる。海運橋の袂にある紙屋。役者、芝居者の冊子を集めていた。『森羅万象』という切り抜き帳に役者ごと年代別に分類してあるという。海運の親がその頃の十二大通の一人だったという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする