年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

みとりの記 小栗貞雄2

2009年05月11日 | 福神漬
みとりの記 小栗貞雄2
雑誌『上毛および上毛人』は県立図書館郷土資料のところにある。連載が数回以上あったので『みとりの記』を探すのに手間取ったが逆に徳富蘇峰などが寄稿していて寄り道読書。
帰途小栗上野介が惨殺された権田村倉渕の烏川に向う。かなり山奥でこんなところで小栗は何を考えていたのだろうか。アメリカへ逃亡する機会があったのに彼が江戸から彼の地について二ヶ月の命であった。
 国子の交友関係で大隈信幸夫人・村井弦斎夫人がいた。しかし夫貞雄氏によると結婚まで旧習を尊び肉などはあまり食べなかったという。大隈重信の保護を受けていたのに食のことは重きを置いてなかったようであった。結婚後、夫貞雄氏の影響で徐々に食が変ったという。
 しかし判らない事がまた増えた。三井の三野村家からかなりの資金援助があったのに小栗国子はそれ程贅沢な生活をしていない。三井から大隈重信への迂回献金だったのだろうか。
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