日清戦争後の福神漬献納
日清戦争は明治28年4月頃休戦となるがその年の9月に大倉組が留守第四師団に東京名産福神漬を300樽献納したいという書類があった。明治28年1月終わり頃大阪にあった第四団の師団長は北白川親王(元輪王寺宮)であった。宮は2月に近衛師団に移り四月に中国大陸に行き、情勢不安となった台湾に六月初め向った。日本軍は台湾を制圧するのに苦労し、宮は10月28日台湾で死んだ。
大倉喜八郎の大倉組が献納した福神漬は宮が行った近衛師団と共に台湾に向ったのだろうか。北白川親王の銅像は北の丸公園の中の旧近衛師団のあったところに建っている。
東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)前
日清戦争は明治28年4月頃休戦となるがその年の9月に大倉組が留守第四師団に東京名産福神漬を300樽献納したいという書類があった。明治28年1月終わり頃大阪にあった第四団の師団長は北白川親王(元輪王寺宮)であった。宮は2月に近衛師団に移り四月に中国大陸に行き、情勢不安となった台湾に六月初め向った。日本軍は台湾を制圧するのに苦労し、宮は10月28日台湾で死んだ。
大倉喜八郎の大倉組が献納した福神漬は宮が行った近衛師団と共に台湾に向ったのだろうか。北白川親王の銅像は北の丸公園の中の旧近衛師団のあったところに建っている。
東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)前