年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治16年

2009年05月28日 | 福神漬
明治16年
上野駅開業、この当時は上野山下ステーションと呼ばれていた。
第一回水産博覧会。上野公園で開催。約22万人入場。水産缶詰展示される。
正岡子規松山から上京。16歳。
慶応三年(一八六七)生まれの、夏目漱石、宮武外骨、南方熊楠、幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉、斉藤緑雨・鶯亭金升・小栗国子・内田魯庵は16歳となる。
鶯亭金升(長井総太郎)は上野戦争から逃れるため千葉に住んでいたが上京し根岸に住む。その後梅亭金鵞に弟子入りする。福神漬の創製は明治16年から18年の間と思われる。
「鹿鳴館」落成=欧風化政策の象徴。明治憲法成立後、大隈重信の条約改正案の内容が漏洩し急速に反条約改正運動となる。その最も急先鋒だった陸 羯南の新聞(日本)は神田雉子町に憲法発布の日(明治22年2月11日)團團珍聞の建物にて活動し始める。
 團團珍聞の主筆であった梅亭金鵞(福神漬命名者)が倒れたのは明治24年だから正岡子規の(日本)入社と若干時期がずれる。しかし鶯亭金升とは面識があったかもしれない。
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