年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

吉佐移民会社のこと

2009年05月08日 | 福神漬
吉佐移民会社のこと
当時日本郵船副社長吉川泰二郎の目的
海外に航路を拡大する希望があったことと当時オーストラリア航路は競争がまだ激しくなかった。航海事業は殖民事業と相発展する。海外に殖民事業を起こすと、貨物の運搬、通信の往復が頻繁となり、航海事業が成り立つ。明治28年近藤死去。佐久間が明治31年11月肺結核で死去。
 明治30年
日本郵船近藤廉平、副社長加藤正義重役岩永省一、浅田正文らが協議し資本金10万円で東洋移民会社を設立し、吉佐移民会社の事業を引き継いだ。
 明治30年佐久間貞一はブラジル移民事業が現地の不況で中断となり30万円の負債を負う。彼は両国の将来を考え個人で処理したという。ブラジル移民事業の始まる前の話である。
浅田正文の経歴に東洋移民会社があるのはこのような経緯があった。

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