年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の25日目 花見に程遠く

2011年04月04日 | 福神漬
ここ連日の寒さで開化した桜も満開に程遠く、4月10日ごろがようやく満開となる記録的遅さである。桜も自粛しているのだろうか。ぼちぼち観光バスの台数も増えてきて、浜離宮公園に向う人も増えてきた。
 都立中央図書館のある有栖川公園では寒空の下で数組の人たちが自粛したピクニックという風景の花見をしていた。このままでは築地の新年度需要が不発となるのが確実だろう。先月急増した備蓄需要も今月から消費に向ってさらに落ち込む気がする。
滅入ることばかりの日常で非日常の世界を見せるテレビの番組もここまで来るとさらに滅入る。
 この様なときは非日常的な本を読むこととする。今調べていることは『和算』関係の本である。福島事件の被告となった、花香恭次郎がなぜ千葉県の万歳の和算家・花香恭法の養子となったかである。これには利根川下流域で江戸時代和算がかなり普及していたという。千葉県・佐倉市史によると房総で和算が発展したのは利根川の治水工事や印旛沼干拓工事等、測量に必要な人材が求められていたという。
 花香恭法の父である 花香安精は、和算と西洋数学を極め、多くの門人を育成しました。どの様な経緯で浦賀でペリーの国書を受け取った浦賀奉行の5男(花香恭次郎)が養子に行ったのだろうか。
コメント
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