年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

幸田露伴 露伴全集第十四巻

2011年04月19日 | 福神漬
草鞋記程(そうあいきてい) 明治25年11月
明治25年大阪朝日新聞に招かれ、大阪へ向かうことになった根岸党の一員・須藤南翠の送別会を兼ねて、根岸党8名(須藤南翠・幸堂得知・幸田露伴・久保田米僊・
富岡 永洗・高橋太華・森田思軒・)は上野から群馬の妙義山に旅行を行った。
 上野より、汽車で群馬へ向かう車中で酒豪だった森田思軒が福神漬の缶詰を開け、酒のつまみとしている文があった。根岸党は上野周辺で酒を飲みながら交遊する当時の文化人の集まりだった。福神漬がご当地の食べもとして文献に出てくる。今の物価に換算すると福神漬の1缶の価格は2千円~3千円程になるだろう。かなり高価な食品で上野周辺の医者・学者・芸者・文化人・商人等しか食することはできなかったと思われる。
 福神漬の文献はあまり多くない。この当時に既に東京名産となっていた。
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