年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の24日目 帰宅難民

2011年04月03日 | 築地市場にて
そろそろ3月11日の地震後の行動について見聞きしたこと。地震の起きた時間が午後3時少し前なので水産部の人たちは大部分帰宅したか途上にあって、築地市場の建物が崩壊する恐れで飛び出すことは無かった。今でものんびり豊洲が液状化して、築地は大丈夫であったといっている。しかし、青果部ではまだ終業直前のため、多数の人たちが働いていたので、旧い建物の階段を下りて、崩壊すると思っていたビルから離れて駐車場の真ん中で揺れる建物とか電線を眺めていた。直ぐに電車が前面的に不通となり、携帯も電話も不通となった。東京難民の話が始まる。
 多くの人たちが慣れない自宅へ行進が5時から始まったと証言している。こんな地震でも会社に安否の知らせをしてから帰宅したらしい。遠距離の人たちは会社に泊まりこんでダンボールベッドで寝たらしい。あの地震報道では寝付けなかっただろう。歩いた人・ヒッチハイクした猛者・途中で飲食して東京マラソン?30kmほど歩いた人。またまた遠距離を歩いて自宅にたどり着いたがエレベーターが余震ということで使用できず,ラセン階段を27階まで登った人。翌日帰宅した人が水道の連結が外れて自宅が水浸しだった人。それぞれの人生で記憶に残る日となった。
 そんな中築地水産部の人たちは元々公共交通機関の利用は少なくわりとのんびりしている。さすがにガソリン欠乏には参ったと思える。築地市場開設以来始めてガソリンのための渋滞があった。もう2度度無いだろう。
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