年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

房総数学年表

2011年04月26日 | 福神漬
房総数学年表 (昭11年) (千葉県図書館叢書〈第7輯〉):三上 義夫著
千葉県における和算の歴史を調べるため、この本を蔵書している図書館を探すと、神奈川県立中央図書館が所蔵していた。行ったことの無い図書館でJR桜木町駅付近なのでここで借りて読むこととなった。横浜市中央図書館より小さくみすぼらしい図書館だった。さて目的の本は本というより冊子に近いもので、三上氏による房総地方の数学年表だった。目的の花香恭法は記載されていなかったが花香安精は何か所に記載されていた。この年表の中に関流和算家として内田恭(五観・弥太郎)の名前が佐倉付近の寺院に算額が奉納されている事が解る。また関流と対決した最上流の会田安明の名前が出てきて、江戸にて伊能忠敬と交流があったようである。会田は利根川治水事業で伊能と知り合ったと思われる。関東農政局のホームページによると利根川下流域で和算が普及していたのは干拓事業や治水事業等で農業土木工事で測量の知識が必要になったことで我が国独自の高度な数学文化が房総で発展していた事と佐原の商業の発達もあると思われる。
この本によると花香安精は天保13年(1842)5月12日60歳で死去している。文政3年花香は岩井不動に算額を奉納している。
花香安精の養子である花香恭法と内田五観との関係を示すものはまだ見つからない。高野長英が死去する寸前どうして花香恭法のところにいったのだろうか。このところは高野長英の小説で納得のいく筋書きはまだ見つからない。内田弥太郎は長英が死去した後、公職から身を引き、江戸で塾を開いていたという。
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