年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の33日目 豊洲へ

2011年04月12日 | 築地市場にて
築地市場内に多数の得意先のある保険屋の人がやって来た。水産の方にも回るという。豊洲へ移転する準備がまったくといってよいほど用意していない人が多いという。これから廃業する人・移転の準備をする人・豊洲に入りたいという人に経営権・従業員を譲りたい人・新規に豊洲に来たいという人・他の水産市場から豊洲へ行きたい人・築地場外市場から豊洲に行きたい人・築地場外に残る人等。色々な動きがあるだろう。
 東京都の予定では今年の6月末までに電力容量等のヒアリングをして、基本設計の業者の入札の資料を作成するという。その後設計者業者と打ち合わせて、来年の8月頃には汚染除去工事を終わらせ、工事にかかり、平成26年夏頃、新市場の建物が完成し、その後豊洲へ移転する業者の内部工事が始まるという。青果部は冷蔵庫設備が少ないため、比較的簡単だが予定のまま進むとは思えない。
 選択の余地のある人達は今後半年で豊洲へ行くか止めるかの決断を迫られている。これだけ放射能の影響があっての中で決断を迫られるとは予想もしなかっただろう。放射能で既に築地ブランドは地に落ちて、水産株を買い占めた人も大損しただろう。
 昭和10年2月11日、日本橋魚河岸から築地へ移転した時も日中戦争時代で先行き不透明な時期で、京橋から築地へ行進した青果業者は泣きながら行進したという。それだけ前途に不安があったという。
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