昭和通りの地下道路を新橋に向かって走ると正面に新しくなった歌舞伎座のビルが見える。中央区郷土室便り(平成15年2月)によると今の昭和通り南の辺りは徳川家康が江戸入りした当時の海岸線になるという。江戸の都市開発に必要な木材が各地から集められ、30間堀川(昭和通のまえ)を運搬され木挽きによって製材していたという。そこで木挽町という町の名前が付けられた。
江戸の町名は幕府の方針もあって、いったん付けられた町名は変更せず今に至っています。通ぶって木挽町といってもどうして銀座の地にあったかは知っている人も少ないように思えます。本来の銀座が広がり、木挽町が小さくなり、今では消えた町名となりましたが歌舞伎座ビルの周辺では残っている地名称となる。
築地市場周辺でお勧めの医院は木挽町医院(銀座4丁目)にあります。築地市場で救急車に乗ると大抵、聖路加国際病院に連れてゆかれます。大病院ですぐに退院します。