年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

初めて知る築地市場へ移転の二年の空白

2020年06月26日 | 宅老のグチ
閑に任せて東京荏原青果株式会社沿革史を図書館から借りる。東京の市場の歴史の本は分厚くて、昭和8年12月13日に完工していたのを見落とした。市場の中に入る業者の選定で2年ほど開業が遅れ昭和10年2月11日に築地市場が正式開業となっている。豊洲移転も結果として開業遅れは2年ほどとなる。
 荏原青果は今でも大田市場の青果卸会社として2番手の売り上げである。確か記憶では元は五反田にあって、跡地は今は品川区の高齢者複合施設となっているようだ。東京都品川区西五反田3-6-3 
 築地の跡地問題はどのようになるかはコロナで変わるが医療施設という案も出てきても不思議でない。
 さて荏原青果の社史は薄く簡潔な記述だが他の東京の市場の歴史書に比べ自由という感じがする。築地も神田も都電という交通手段の中心に市場があって買い出し人は便利だった。それゆえ荷物も集まり盛業だった。しかし郊外の地は住宅が増えていくけれど農家も混在してゆっくり拡大しているようだった。200坪くらいの青果市場が乱立し、競争していた記録となっている。今は自由な集荷と販売になっているが戦時体制の中で空襲を受けながら都民の基本的な食を確保していた歴史を知る。
 戦時というのは自由を圧迫する。それも食まで来ていた。


コメント
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