年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小林清親の銅版画 首相官邸仮装舞踏会 明治20年

2021年01月08日 | 宅老のグチ
日本が開国し、維新となって西洋文明に追い付いたと表面上の姿を見せるため伊藤首相官邸での仮装舞踏会を開催した。小林清親が隠した風刺心で銅版画にした。この当時は小林は風刺漫画雑誌・団団珍聞に絵を掲載していたがこの版画に関しては団団珍聞には掲載されていない。
明治文化研究会と明治憲法-宮武外骨・尾佐竹猛・吉野作造   堅田剛著
小林清親の銅版画は、細部に異同はあるもの「時事新報」明治20年4月22日付け記事で20日に伊藤博文の内閣総理大臣官邸で仮装舞踏会(ファンシーボ-ル)なる奇怪な催しがあった。ファンシーボ-ルは鹿鳴館外交のクライマックスで多くの誤解を生じた。不平等条約改正のため、近代化のための欧風化政策の一つだった。西洋の服を着て西洋の音楽に合わせて踊るのがどうして条約改正に繋がるかが当時から批判があった。
 さてこの本では小林清親が団団珍聞の社員にもかかわらず、団団珍聞には銅版画の絵はないとある。確かに図書館で団団珍聞を探したとき伊藤博文の戯画はあったが仮装舞踏会の戯画はなかった。著者の堅田剛氏は弾圧を恐れて掲載しなかったと想像している。小林が描いた仮想舞踏会の中心に伊藤博文と戸田極子が描かれていて、暗に事件があったことを風刺している。
明治20年ならば長井総太郎(鶯亭金升)の情報から、ファンシーボ-ルの夜の出来事の詳細を知ることが可能である。長井は大垣戸田家の縁者である。
  前田愛著 幻影の明治 という本の(三島通庸と鹿鳴館時代)の所で面白可笑しく報道した小新聞が発禁処分を受けた。伊藤博文の好色は広く知られていて、団団珍聞が報道しなかったのが、大垣戸田藩との交流(戸田欽堂・高島嘉右衛門?)があって、詳細な事件の内容が鶯亭金升に届いていたと思われる。この事件の詳細は戦後に出版された戸田極子の親族にはっきり書かれている。
鹿鳴館レイプ事件の真相
遠いうた-徳川伯爵夫人の七十五年 徳川元子著
何気なく都立中央図書館の3階開架図書のところを眺めていた。鳥居耀蔵の人物伝のとなりに徳川元子さんの本があった。この人は平成元年に82歳でなくなった人の本である。大垣藩主戸田氏共と岩倉具視の娘極子の孫に当たる人だが著者元子の母が早く亡くなったため、9歳の頃から神田駿河台南甲賀町6にあった戸田伯爵邸に住むこととなった。この地は今の明治大学(南甲賀町11)付近で隣は西園寺公望邸(南甲賀町5)だった。
 首相官邸から裸足で脱出した女性がフリ-の人力車に乗り、神田駿河台を目指した。このことから憶測が広まり、虚偽報道が盛り上がった。真実を知っていた団団珍聞は追従報道は無かった。 多くの上流の家庭はお抱え人力車があって、フリ-の人力車は今だと流しのタクシ-のようなものである。




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