年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

危機感のない2回目の非常事態宣言

2021年01月20日 | 宅老のグチ
前と違って、今回の非常事態宣言が毎日の新規感染者数が新記録になっていても、何か危機感が感じられない。ある程度新型コロナの情報があって、社会のバッシング行動をとらねば許されるし、今では感染したら休まないといけないというになった。それゆえ、感染するというところに出入りすることは結果責任を伴うことを知る。マスクして距離を置いて許される感染源は通勤電車と買い物と思われる。さらに病院通いは感染危険があって不要不急の通院を抑えているようだ。近所でサイレンを鳴らさないで救急車が長時間停まっていた。多分急いで苦しんでいる人の所へ行っても、患者がケガと判っていてもコロナ感染を防ぐ防護服を救急隊員は着ている。受け入れる病院が見つからないと動かないようだ。この状況を見るとTVで報道されている病床ひっ迫感を実感する。
 SNS等で経済維持のために多人数で飲食を見せつけ、友人は感染意識が高いので安全と言っている人が今度の危機感の薄さを示している。このことが他の人に安心感を与え、多人数会食の罪悪感を減少させ感染を拡大し、さらに前と違った感染力の強いコロナで連日の様に無症状の感染者を増やしている。今年中にある衆議院の選挙用のポスタ-でPCR検査拡大と言っている政党は何処に病床と看護師を確保しているのだろうか。無責任な主張は命を懸けている看護師にムチを打っている気がする。多分長い間コロナの医療従事者は家族と会っていない気がする。病院はクラスタ-感染になりやすく、家族も非難される。野党は政府の給付金政策で新しい犯罪者を作らないようにするべきで、桜の追及は不要不急の質問事項で選挙戦で結果を問えば良いように思える。今回のコロナで準備不足の政策で多くの新規の詐欺師を作った。過料とはいえ生きるための仕事・労働が犯罪となる政治はおかしい。とにかく今の国会の与野党のパフォ-マンス行動が多く、それによって危機感が政治に感じない。例年インフルエンザ肺炎で多数の死者が出ている。今度のコロナではまだそこまで行っていない。そろそろコロナを政争の具から離れる時期に来たようだ。そこにはオリンピック中止という選択もある。
 非常事態宣言の二日後にス-パ-に行ったが、前回と違ってマスクは販売しているし、紙類も多い。レジの行列も少ないし、釣の手渡しのレジが消えた。まだスマホで決済をしている人は見かけないがどうなのだろう。午前中のス-パ-はコロナ以前のジジババショップに戻っている。

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