年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高野長英を匿って遠島処分された人の行方

2021年04月07日 | 宅老のグチ
流罪で有名な佐渡島の(佐渡流人史)を読むと、元禄末期の頃佐渡鉱山の開発により、海と陸上交通が整備され、遠島処分の犯罪者を流す島と言う適格性が消えて、佐渡は流罪の島でなくなった。従って、高野長英の死去は嘉永3年のため、佐渡島へは遠島処分では行っていないことになる。関東では伊豆七島が遠島の処分の行先だった。
 八丈島流人銘々伝 増補改訂版によると、やはり流人の名簿に松下寿酔等の4人の名前が無い(寿酔は取り調べの獄中死)。江戸時代の刑罰で流罪は今の日本の法制度では無期懲役に近い。ダダ八丈島へ流された人の記録から金銭援助さえあれば比較的自由で生活の手伝いの人を雇用し、世話をしてもらう事例がある。そこで子供が生まれるという事もあった。有名なところでは西郷隆盛の流人生活で現地妻の存在が知られている。八丈島等の遠島処分が厳しかったのはサツマイモ栽培される前で、食料不足で餓死した時もあった。特に貯蔵していた食を大繁殖したネズミに食われた時もあった。どの様にネズミを駆除したのだろうか。猫を放したのだろうか。そういえば旧築地市場に多数目撃された太目のネズミが豊洲移転の時に行方不明となった。あのネズミ騒動の謎は今でも残る。

 福神漬の資料で石井研堂の明治事物起源と言う本の中で缶詰の始まりと言う文章は実に謎の多い文章で一部は史実にあっているが全体として間違っている記述が多く、なぜ缶詰の始まりに近藤重蔵が出ていたのか調べていたら、息子の近藤富蔵が出て来て、八丈実記を読むこととなり、流人を調べることとなった。流罪の人たちの中には文政年間に火付盗賊改の長井五右衛門と南町奉行筒井政憲の名前が出てくる。
 スマホゲ-ムのように出てくる人物を調べ新しい知識を得、さらにそのことから現地に行きたいと思う。今は伊豆七島へ行って見たいと思うがコロナががあってGOTOの割引復活で行きたい。
 明治元年暮れに、御赦免となった宮野信四郎が新島でどのように暮らしていたか知りたいと思う。現地妻はいたのだろうか。新島での宮野の生活資金援助は誰がしていたのだろうか。多分内田弥太郎(観斎・五観)と思うが、火付盗賊改の職だった旗本長井家から出ているかもしれない。

コメント
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