2021年4月初めに台湾の花蓮市郊外で鉄道と工事車両の衝突事故が遭って、多数の人が亡くなった。ふと思い出して、特攻死した叔父の最後の晩餐記念写真の撮影地が台北でなく、当時の台湾陸軍の本拠地の花蓮港であると訂正連絡があった。そこは花蓮市の史跡となっている松園別館らしい(花蓮港陸軍兵事部) 。花蓮港は日本が日清戦争後に台湾が日本の統治下になった時、太平洋側に港を作った。土地を削って港を作ったようだ。日本の港で例えると茨城県の鹿島港のようだ。台湾は中国側に平地があるが太平洋側は比較的狭い。列車事故はトンネルの前で、線路が急カ-ブしていて、線路にトラックが落ちているのが見えず、衝突し、脱線しトンネルに激突したようだ。あとで列車の車載カメラの映像から運転士は何も出来なかったと思われる。痛ましい。復旧一番列車の映像から景色の良いところを走っていると感じる。
いつか台湾に行って、台北・紀州庵・八塊飛行場跡の台湾国防大学・花蓮市の松園別館へ行って見たいと思われる。叔父の最後の晩餐となる宴会記念撮影写真から前列に座った6人の顔が引きつっていて、後列の陸軍飛行204戦隊の同僚はリラックスしていたことがわかる。時期的には昭和20年の4月の末から5月の10日までだろう。