もう一年半経つがコロナ感染は様々なニセ情報が蔓延し、コロナの終息が見えない。いまでは布マスクも外見だけで感染防御とかは効能が少ない。ワクチンもテストの結果の効果も期待している国とそれほどの国もあって、さらに変異したコロナに対応する効能がまだ見えない。次々と出てくる新種のコロナは先行している終息している国も穏やかでないようだ。地域とか国を封鎖している所も新種のコロナを恐れているようだ。言葉やメ-ルは検閲できるが町の買い物風景を見る映像ではまだ中国・北京はマスクの姿が多い。感染不安があるのだろう。
日々の暮らしの映像は言葉よりはっきり事実を伝える。日本でマスクの重要性を知っているのに、欧米での映像でマスク無しで公園等で騒いでいるのを見ると何の教育が異なるのだろうか。
マスク文化の許容はイスラムの顔隠しを連想するのだろうか。監視カメラの中国で口マスクと砂漠からの塵除けでゴ-グルで目を隠して行動するようになったらどう認識するのだろうか。目の化粧による加工はどうなるの。マスク下の盛りも気になる。
コロナ情報で感染者数の数値の隣にワクチン情報がある。注射を打っている人の数が3月には一日5万人程度だったが最近は13万人強となっている。徐々に経験値が上がっているようだ。日本は前例と形式が整えば意外と早いかもしれない。飛行機のようにキャンセル待ちの人を用意し、急な欠員に対処する方法もある気がする。あらかじめ注射会場で年齢関係なく近所のキャンセル要員を用意しておき、欠員があった時電話して呼び出すこともあって良い。この様なシステムは都立中央図書館で一日の予約者があって、欠員をフリ-の利用者用に開けてあって、混まないように人数制限し、利用者を最大にしている。工夫は日本の得意とするところである。今日本に残っているのは創意工夫でワクチン希望は自己責任で政府は不適切な事例を負担すればよい。今は銃弾が飛ばない戦時である。前線も銃後もない見えない戦争中である程度治安維持の規則と守らせる個人罰則が必要になった。さらに守れば保証が出る制度も必要である。今の年金とか健康保険の制度は先の戦時に作られた。戦病死した遺族や家族を保護する制度だった。2月に入院していた時、PCR検査が陰性と判明するまでの個室の部屋代は国の負担だった。