いつの間に消えたのだろうか運動会でのパン食い競争というのがあった。レースの途中につるされたパンを手を使わないで食いちぎるという戦後の食糧事情を反映した競技だった。先頭でパンの下に入らないと、後続の競技者は揺れるパンを口で捉えることが難しい。今コロナのワクチン接種競争で出遅れ、接種率の低迷は変種のコロナで感染拡大が止まらない。先頭の国々は長いコロナ封鎖を解除し、経済が再活性し、国民の表情も明るい。しかし日本はワクチン競争に出遅れた。そもそもこのレースに最初から参加する意欲も準備もしなかったようだ。揺れるパン(生活の糧)は限界まで来た飲食店従事者の姿と見える。
6月1日から100歳の母のワクチン予約活動が始まる。もうここまで生き残ったので別にワクチン早めにを打って感染の重篤化を防ぐことより、毎日世話になって、感染予防で苦労しているデイサ-ビスの人たちと周囲の安心感のためにワクチンを打とうとしている。今中断しているアストラゼネガ製造のワクチンでも接種の機会があったら打ってみたいと思っていた。区の広報だと町医者予約が6月1日から始まるが予約方法が希望する医者がアナログ方式なので足を使って病院で予約するしかないだろう。それぞれの都内の各区のコロナワクチン予約方法はまちまちで個性があるというかまとまりがない。世田谷のワクチンのスタ-トは早く、高齢者介護施設から始まったが区のワクチン情報からかなり遅れそうだ。町医者を利用している気配がないので問診で時間がとられ、接種人数が増えそうにもない。地方の先行している自治体の様子から集団接種と町医者利用とさらに高齢者は暇なので接種日期日指定のワクチン券を配布したところが早そうだ。公平を期した先着順はネットに慣れない高齢者が多く、さらに電話もつながらず不満があるようだ。割り振りワクチン券で期日に都合の悪い人だけ電話で受け付けるところは意外と早く終わりそうだ。送迎のバスを手配し、年齢制限を解除して接種してくる自治体も出るだろう。地域のインド型・ベトナム型のコロナに対して安心感は年齢で区分できない。
工夫の日本は他の地域の前例が出来れば対処の仕方がわかり、順調にワクチン接種が進むと思われる。ただ3割の人はアメリカでも中国でもワクチン嫌いがいるので最後は何かお金のようなエサで釣るしかない。もうココまで来ると人の行動はどのような条件で動くかのテストを見ている気がする。統一されない日本のワクチン接種がコロナ戦後にどのような規範ができるのだろうか。
災害日本で援助物資の質量も変化してきた。今は必要なものの情報を知らせ、不要なものはかえって迷惑となることも広報されている。今度のコロナでどのような対処が良いか記録を残すことが良いだろう。
その中には一番日本人がやりたくない、考えたくない、言いたくないと思っている(命の選択)の順序も一般人も議論すべきだろう。さもないと苦労してコロナ患者と対応している医療従事者や行政の最前線で対処している公務員
に不満解消目的でで暴力沙汰になることもある。多くのマスク拒否動画は不満解消のストレス発散ということを知っているが言葉のやり取りで大騒動となる。今は動画となって永久に残る。本人は気が付かないが検索すればコロナ暴力の記録として永久に残る。不適切な動画は個人からの削除要求制度が確立されつつあるが、コロナ暴力動画は歴史資料としてモザイクなしで残る気がする。そして後日に裁判となって個人名が特定される。