年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

226事件が気になって

2021年06月24日 | 宅老のグチ
沖縄戦最後の6月23日に叔父の特攻で気になった226事件の栗原安秀中尉の事を調べるため、久しぶりに都立中央図書館へ行く、時間指定でさらに3時間ということで、人数制限の上でも閑散としている。
 埼玉県史の別冊を読む。(雪未だ降りやまず : 二・二六事件と郷土兵)
226事件で麻布の歩兵連隊(今のミッドタウン)が参加したのだが、半数は埼玉県出身で、事件後に交戦中の中国の最前線に回され、半数は死去したという。さらにこのことを生涯の恥として、226事件に参加したことを心に隠して生きていた人も多いようだ。麻布十番駅から図書館へ行く途中に、死刑となった226事件の慰霊碑のある興国山 賢崇寺・港区元麻布1-2-12を過ぎて坂を上る。

 226事件の前に熊谷での要人暗殺計画には栗原安秀中尉は逮捕処罰は逃れたが、マークされていたようだ。
 叔父が陸軍特別操縦見習士官の試験に不合格となっていたのに、なぜ他の合格者よりひと月遅れて合格になった理由が不明である。(昭和18年9月6日毎日新聞埼玉版より)同姓の栗原中尉と埼玉県ということで補欠合格となったのだろうか。埼玉師範学校(今の埼玉大学教育学部)の同期の飛行見習士官試験合格者は陸軍で1名の戦死者と叔父を除いて、戦後に教員として復帰している。特操1期生は4割ほど戦死しているので不運と考えるしかない。不合格の理由はたぶん無理して問題を解かなかった気がする。軍事教練の教官に参加を要請されて受験しても合格したくなかった気がする。従って、生母には陸軍特別操縦見習士官の試験受験は不合格を予定していて遅れて合格通知が来ていても、飛行機の関係の招集と言っていた気がする。埼玉護国神社と靖国神社の特攻兵士の名前には栗原は1名しかない。気のせいなのだろうか。なぜか師範学校の軍事教官が叔父を欠員の補充の推薦をした気がする。毎日新聞の記事には陸軍と海軍の試験に合格した人が1名いる。当時は海軍の方が人気があって、競争も激しかった。

 以前はなかったのだが麻布十番の賢崇寺に張り紙があって、参拝客以外は出入りは遠慮してくださいとあった。コロナせいなのだろうか。7月12日は226事件で処刑された人々の慰霊日。これから8月15日まで記憶に残る戦争の慰霊の日が続く。
 このような妄想を持つのは戦後に叔父の最後を知らせた上官に生母は怒鳴ったという。何もいらないから生きて返して。本当に生母は何も知らなかった、知らされなかったのだろうか。戦後遺骨が戻ってきたとき、木の空箱に遺髪があっただけだった。
コメント
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