明治の10年代に薩長政権を批判していた言論人は旧幕臣と薩長から嫌われた、土佐、肥前、安芸の元の武士層でした。彼らは言論の場を使い、専制政府と攻撃していました。中央集権で富国強兵政策を批判して明治の20年頃は不平士族と言われています。特に五か条の誓文の中で万機公論ということが根拠となって言論弾圧に様々な手段で抵抗していました。
今香港では、中国の言論統制が強化され、過去の政府を批判する自由が消えつつあります。明治日本では新聞が発刊停止が度々あって、新聞を人と見立てて、葬儀を行い、弔辞で過去の功績を讃えていました。戦争前の日本でも言論統制・検閲が厳しく、多くの当時の文化人が政府宣伝の協力者となって小説等を残していますが戦後に記憶に残るものが少なく、かえって協力者ということでいまは戦中の文化人の記憶から消えてしまった例が多い。
香港の政府懐疑記事を載せていたリンゴ日報は発刊停止となったが、どこかで名前を変えて出るだろう。それは香港でない気がする。のんびりとした日本から見ると、金の卵を産んでいる香港で発行されているので朝からコケコッコウと騒いでいる、経済の活性を産む鳥を次の鳥インフルエンザを起こす懸念があると、感染の源として駆除したと思われる。最近は香港でも日本流の生タマゴを食べ始めているので周庭 女子による日本タマゴ宣伝を警戒しているのだろう。金の卵を産む香港の鶏が消えて、密封したカゴで、外部から遮断されて産む機械のような日本産の卵がどこまで伸びるのだろうか。日本のタマゴはアメリカ産飼料で育てられケチな味がする。
中国と香港が一体化すれば狭い香港の不動産が他の中国都市より高いのは無くなる気がする。
お金の制御が一番難しい。特に流浪の民の歴史がある国は金(キン)が生存手段となる。
驥尾団子 兄弟誌:団団珍聞 自殺号を出し廃刊 明治16年5月9日の第235号で廃刊した。言論弾圧を受け、廃刊となった。投獄された編集者は今では記録しか残っていない。ネットの時代は創刊がたやすい。どう対応するのだろうか。言論弾圧も厳しいが、資金封鎖の方がこたえる。明治日本は多くの新聞が資金封鎖で消えた。