ここ2~3年ほど不作が続いた梅が今年は豊作で去年の分も取り戻す勢いがある。今年は昨年より梅雨が短そうだが、TV報道がコロナ一色で熱中症の話題がなければ梅需要が伸びない。ここ数年は梅業界にとっては地球温暖化の影響で被害が出ていて、自分たちの力でどうしよもないことを知る。昨年は暖冬で2月初めの梅まつりの前に開花が進み、観光客が来る2月11にはほぼ満開でミツバチによる受粉が少なく、実のなる割合が少なかった。またある年は5月に雨が少なく、実が大きくならなかった。さらに順調な年も6月から7月にかけて季節外れの台風が接近し、大きくなった実が落果した年もあった。
和歌山の梅干し業界ではいろいろなイベントを行っている。今は青梅の青果市場向けの出荷が最盛期で、今年はコロナで外国人研修生の協力が見込めない気がする。梅干し用の完熟した梅の収穫はもう少し後で、梅酒会社と梅干業者の集荷の競争がある。
和歌山県みなべ町へ行けば、気が付くのだが平地は少ない。多くの平地は東南海地震の津波の想定の範囲内にある。梅林は南に開けた山に梅が植えているので収穫は大変である。収穫と漬け込みが重なり、さらにお中元需要の梅干しとスーパ-の熱中症関連食品として需要が伸びる。もうオリンピックの特需は開催の是非以前になって、ホテル需要も消えてしまった。
オリンピック開催はどのような結末になるか分らないが、失敗の記憶が残る。すべての思惑が想定外の方向に向かっていて、勝利者と思われていたのが後世から頂点だったことを知るかもしれない。平成元年1989年バブル時の日本株価の4万円まであと少しで大納会の取引があった。1990年正月の新聞論調はバブルとという論調が多く、正月の大発会から株が下がり、経験則を下回った。
今、世界で食の世界で逆デフレ(インフレの事)が起きそうだが、コメを大切にしない日本人は高騰した肉類を同じように食べることができるのだろうか。
平成元年5月に神田市場が大田区へ移転した。一国の食文化の中心地の移転は時間がかかり、記憶に残る。今度の豊洲市場への移転はすでに終わったのに後味が悪い。やましい動機で築地市場周辺の人をごまかし、政争の具とし、多くの人を傷つけた。時代遅れの施設でいつの日か建て直ししなければいけないと思いつつ、全体の意見の取りまとめが出来なく、さらに外部の環境の変化についてゆけず、騙された思いが残る移転だった。
自分としては晴海の今は選手村マンションとなったところが良かったが、もたもたしているうちに、ごみ処理場が中心地にできてしまって、面積が足りなくなった。