母が死去した。101歳と4か月。老衰だった。特養から低体温ということで救急車で病院に運ばれたが時節柄コロナ患者の対応で受け入れる病院探しは難儀したようだ。はこばれた病院の先生の話では老衰による低体温で処置の方法がないと言われ『お任せ』ということで、病院内に数時間の滞在し、死去した。お別れも出来ず予定していた葬祭場に安置された。昨年妹が亡くなっているので式の次第は決まりが早い。オミクロン対応の各施設は当然の処置で新しい葬祭となりつつある。100歳超えの葬儀となれば親族も同年齢は参加できず、親族会になる。
都心の高齢者施設は公的なところしかなく、民間の施設は高額すぎて庶民は郊外に出るしかない・最近の地価高騰は新規の高所得者が都心に入り、低所得の人は出てゆくしかない。築地市場で豊洲移転直前にシャッタ-が壊れたので修理を頼んだら、築地は住んでいなくて、江東区からやってきた。
母が亡くなって、新聞に入っている老人施設の広告も関心が薄れた。もう保育園需要も出産が減って、間もなく余るだろう。高齢者施設の建設案内を見ていると500坪くらいが必要でさらに多数の職員を集めることから、新興住宅地の外れが適地となりそうだ。すると生産緑地の多い世田谷とか練馬に高齢者施設が増えると予想する。
妹が昨年亡くなって、葬儀の経験があるので緊張感がない。オミクロンで旧習と言われた葬儀も簡素化され、変わる。
母の写真を整理し、思い出に浸る。みんな貧しかった。医学の進歩で101歳まで生きたが最晩年は早く逝きたいと言っていた。子として孝養の義務を果たした達成感がある。それにしても酷い母の青春だったことを知る。