年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ひかたの歴史と民俗 第5号

2022年02月09日 | 福神漬
ひかたの歴史と民俗 第5号を千葉県旭市の大原幽学記念館で購入しました。今は統合され旭市となる前に干潟町歴史民俗研究会の本で平成15年の刊行です。この本を求めるため旅行の途中によりました。目的は万歳小学校付近にある花香安精の墓所にある墓碑の解説でした。

 近世日本の数学がもつ文化史的特性に遊歴数学者の存在があります。遊歴は諸国を巡業することを指す言葉ですが、数学者が日本各地へ出向き、旅をしながら数学教授することをしていたようです。初期の有名な遊歴和算家の山口和の記録『旅日記』文化14年11月2日に千葉万歳の花香安精の記録が出てくる。

花香安精  天明2年1783 千葉香取郡万歳村に生まれ、天保13年1842 死去する。藤田嘉言・石坂常堅・内田観斎(弥太郎)に学んだ。地元で子弟に実用の数学を教えていた。文政13年安精門人の岩井不動堂奉納の算額は現存する。万歳の東福寺に墓所がある。
 長い間、内田弥太郎と花香家の関係は花香安精から始まったと思っていたが、史料を読んでゆくうちに、実際内田から直接指導を受けたというより、かの地を訪れた遊歴和算家の指導を受けていた気がする。そのことは今の千葉県立図書館の花香文庫には内田観斎の和算の書籍が見つからない。
 今コロナで通信教育となっているが江戸時代でも通信教育のようなものがあって各地に巡回する和算の先生が免状を出していたようだ。特に房総地域は河川改修の工事見積の需要があって和算が盛んだった。その先頭は日本地図を作った佐原の伊能忠敬である。
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