年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

JR東海・三河安城駅での話

2024年11月26日 | 宅老のグチ
ひょんなことから愛知県の三河安城駅へ行くことにした。愛知県安城市は大正時代に日本のデンマ―クと言われた日本農業の革新を行っていた地域だった。そこから山崎延吉という人が農業高校の基盤を作り、多くの農業の人材を日本の各地に出した。その人材の中で歴史に残る人材は日本農本主義者と言われ、最終的に中国大陸へ日本農民を移住させ、満蒙開拓団となり、現地の中国人と軋轢を生み、抵抗運動から中国人との紛争から泥沼となった戦争拡大の道となった。戦後に農本主義の理論的支柱の人達は呆然としていた様子が見える。
 安城農林高校が設立された時、3人の教師がいて、その中の一人が千葉県野田市付近の豪農の人で、千葉の学校を卒業後に東大農学部を卒業した。染谷亮作という。この染谷が野田市のキッコ-マンの縁者の支援で農学校を作った。その農学校に特攻で亡くなった叔父が進学した。どのような評判だったかは今の野田市の中央図書館や郷土資料館には残っていない。その理由ははっきりとしないが戦前の最大の労働争議で野田市民に分裂感があって、昭和初期の話が記憶から消し去られている感がある。また戦後に多くの野田の学校名が代えられたことも記憶の継続性の薄さもあると思える。

 東京からJR安城駅までの経路を調べると、どうも名古屋経由が先に出て来る。確か安城市より名古屋駅は西と思い、新幹線のこだまに乗って、三河安城駅まできっぷを買って行って見た。こだま号は各駅停車の新幹線で、それぞれの停車駅で後続ののぞみ号に抜かれるの時間はかかる。着いてみて驚いたのは三河安城駅は新幹線の駅ができて50年程経っているが、駅付近には田畑があった。東海道線の三河安城駅とは離れていて、同じ構内ということでなく連絡通路を歩き、在来線という三河安城駅から安城駅まで電車に乗る。160円。着いたのが9時50分前後で駅の所に観光案内所を見つけ、見ると10時からなので図書館へ向かう。アンフォ-レという名称の施設の中にある。駅付近の大きな信用金庫の警備員の人にアンフォ-レを聞くと、指差しで隣のビルを教えてくれた。新しいいビルの上層階に図書館はある。東京を水害の恐怖に陥れた時より、新築の図書館は水没を恐れているのか、上層階にある。地球温暖化によって、集中豪雨があって、今までの様に河川の氾濫で洪水というより、都市の排水能力以上に雨が降ると、どこでも床上浸水となる。図書は重いので地下に収蔵する設計が多い。
 安城市の中央図書館と言えるアンフォ-レで東京で検索し出した山崎延吉の資料の位置を聞いた。3階の一角にあって、リスト上では100冊ほどあって、驚く。いかに安城市が山崎延吉に関心があることを知る。今は敗戦後80年にもなるので、負の歴史ともなった満蒙開拓団の理論的人物となった加藤完治は山崎延吉の教え子でもある。本のリストが多いのは我農生というペンネ-ムで書いた、斯民という報徳思想の雑誌が多いことから来ている。さらに安城農林学校系統の本が多い。
 軽く読んで図書館の係の人に安城市の観光案内図をもらい、安城市郷土資料館へ歩いて行く。何か安城市はトヨタの城下町で歩いている人が少ない。見立てでは30分ほどかかるが、小1時間歩いた。
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