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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

カレッタ汐留のアドミュ-ジアムにて

2008年06月15日 | 福神漬
カレッタ汐留のアドミュ-ジアム
明治時代の引札(今のチラシ広告)を見るために新橋駅前にあるカレッタ汐留のアドミュージアムを訪問した。江戸時代から明治の中頃までは日本の広告の基礎とも言える時代で商人が広告として色々工夫して宣伝を行っていた。特に明治の初期は上野池之端の守田宝丹(宝丹)と岸田吟香(精水・せいきすい=目薬)の二人は薬の宣伝で有名であった。
特に池之端の守田宝丹の薬(宝丹)は幕末の文久2年(1862年)に発売し、コレラなどの予防薬として重宝されたようだ。商品としての「宝丹」を明治新政府に申請し、第1号公認薬として認可された。また守田宝丹は、宝丹の販売のために、新聞広告をはじめとして、PR誌を創刊したり、ポスター・看板・引札(ちらし)などを活用した。また歌舞伎の役者や落語家に「宝丹」のセリフを言わせたりして明治広告の先導者でもあった。
 同じ町内にあった福神漬の創始者(酒悦)主人野田清右衛門にも商品の宣伝方法について影響を与えたと思われる。
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地震のニュースの中で

2008年06月14日 | 築地市場にて
地震のニュースの中で
伝えられている地震のニュースの中で被災地の状況と今後の影響を考えています。近ごろ築地市場の中に駐輪してあるまたは放置してある自転車の中に電動自転車が増えてきてほんの少し前は盗難等を恐れて目立たなかったのと駐車違反の取締りが厳しくなったのでバイクから転換した人が増えたのでしょう。築地で勤務中に地震にあったら食べ物は豊富ですが電気・ガス等の状況がわかりません。特に帰宅の足ともいえる交通網の状況どうなりかわからないのでとにかく歩きやすい靴を用意するしかないでしょう。トイレ用の水は築地川から取ればよいので飲み水だけ用意すればよいと考えます。
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築地生まれの今泉みね

2008年06月13日 | 福神漬
築地生まれの今泉みね
漬物の歴史の道を探っていくうちに,福神漬の広告から引札を調べているうちに気になった本が出てきて『今泉みね著名ごりの夢』と言う本を読み始めた。今泉みねは今の三菱東京UFJ銀行築地支店のある築地1丁目10番地の生まれという。そうすると福沢諭吉などが 今泉みねの松葉攻撃をこの地で受けていたと言うことになる。みねのいたずらは医者の桂川家に訪問していた客の破れた足袋の穴に束ねた松葉を入れていたずらしていたという。
 江戸の末期の様子が子供の目を通して情景がよく理解できる。特に幕府の医者という立場を利用して(歌舞伎役者等の芸能人)との交流の様子が理解できる。
 福神漬の歴史をたどっていくと江戸幕府崩壊のいう時代の変わり目に遭遇した江戸市民および徳川方の人々の生き様が気になっていくこととなる。
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食中毒の季節入り

2008年06月12日 | 築地市場にて
食中毒の季節入り
築地市場の衛生検査所の広報が回ってきた。今年の食品の安全を確保するための方針が書いてあります。ギョーザ事件から輸入食品等の検査体制の強化。JAS法改正による業者間取引の適正表示(北海道ミートホープ不正表示事件)とノロウイルス対策の強化。特にカキの検査を強化して風評被害を減らすことを考えているようです。リアルタイムPCR法によってノロウイウイルスの検査を充実させるという。なんだかわからないけれど築地の衛生検査所は酷く古い建物の中で仕事をしています。
 衛生検査所の人々の話ではノロウイルスによって下痢しているような状態の人は市場で勤務してはいけないということで医者の指示を無視するとコンプライアンス無視となると警告していた。しかし数人で動いている仲卸の店はとても対応が難しいかもしれない。特に直りかけの状態の判断が難しいと講習会の時に思った。
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農林水産省へ統計

2008年06月11日 | 築地市場にて
農林水産省へ統計
毎年6月になると農林水産省へ事業報告書を提出することになる。決算書等は理解できるのだが提出する書類の項目には何のための利用するのかわからない項目がある。それは従業員の平均年齢や平均勤務年数などで何のために提出するのかわからない。
 売り上げの減少している地方では中央卸売市場は公立病院。公営ギャンブルと共に三大不良事業と言われる状況になった。中央卸売市場から地方卸売市場に転換すると役所の人件費が節約できて、さらに国の規制から解放されて採算が取れるという。農水に提出する書類や監督する項目が多く人手がいるためである。
 大都市でさえ中央卸売市場の売り上げの減少が続いていて仲卸が流通の変革に取り残されて苦しんでいるのに地方は大都市からの攻勢でさらに苦しくなった。統計ではこのような項目の当たるのがなんだかわからない。
 結局統計は数字の基礎を出しているところと関係なく数字が出され社会が動いている気がする。食料自給率39%というのも解釈のしようではどうにでもなるような気がする。
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月島を散歩

2008年06月10日 | 築地市場にて
月島を散歩
図書館の予約先を間違えたため、東京中央区の月島図書館まで築地市場から自転車で行くことにした。コースは旧時計台通りからフタ架け駐車場・勝どき門・勝鬨橋・西仲橋・月島西仲通りと通って月島図書館へ向う。道中の西仲商店街・通称もんじゃ通りは昼日中のため極めて静か。NHKの朝ドラの舞台となっているのだがセピア色のポスターがところどころに掲示してあるだけで普段からもんじゃ街は報道されているのであまり関心はない様子。一時混んで後静かになっていくのは一番避けたいところ。昔と違って高層マンションの住人が増えたため商店街は活気があって昔の雰囲気がまた月島の昭和郷愁を誘う。色あせたNHKのポスターが月島には似合うが何処となく昭和の昔と違う。吉永小百合のような昭和30年代を象徴する女優の顔がほしい。
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今日はある意味で記念日

2008年06月09日 | 築地市場にて
今日はある意味で記念日
先週末の原油の暴騰で今日は誰でも予想つく株式暴落・後は為替の変動と物価高のインフレ。昔ながらの生活に戻ればよいだけのこと。
 昔は『もったいない』と言うことで使いまわしは当然のことであった。今は使い捨て文化に汚染されていて再利用は不正とも思われている。もう少し不景気にならないと使い回し文化が復活しないのではないのだろうか。ただ表示の件には統一した規範が必要となる。
 漬物文化はある意味で日本食文化の究極で廃棄物の再利用の象徴でもある。江戸時代・酒つくりの廃棄物の樽の再利用・米を精米した時に出る米糠を使って沢庵漬。酒の搾りかすを使って奈良漬。梅干漬けた時の梅酢を使って紅しょうが。使い回し・もったいないということから漬物は始まったの日本の漬物文化ともいえる。
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店じまい

2008年06月08日 | 築地市場にて
店じまい
築地市場内を練り歩く神輿のあとをウロチョロして波除神社の混雑を避けて、水神社から木造の老朽化した建物の集合地帯を散策・あまりにも古い建物だが食品業界では有名な企業ばかりで多分一番格差を感じるのは東洋水産の建物だろう。木造のいつ壊れてもおかしくない建物である。ここがインスタントラーメンの東洋水産とは思えない。その東洋水産の建物の隣に鎖で入り口が閉ざされている東京都漬物水産加工組合の建物がある。明治時代からある東京都の煮豆・佃煮の組合で100年以上の歴史があって、先月末にその歴史を終わらせた。組合員の売り上げ減少によって築地の管理費が出なく恐れから余裕あるうちに閉じたと言う。長く続いた歴史を自分たちの代で終わらせるには大義名分と決断が必要となる。組合のような任期のある組織は判断を先送りされることが多く、見事な決断と言うしかない。
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原油ショック

2008年06月07日 | 築地市場にて
原油ショック
6月6日原油相場が一日でバレル11ドル上がった。バブル相場と言いつつすでに1年以上あがっている。スペインでも台湾でも日本でも漁船の出漁を休む話が出ている。原油派生の商品を使用する生活は厳しくなるだろう。
 市場の会議室で夏野菜の見込みの会議が開かれていた。このままの状態では終戦直後の日本の食料状態に戻るだろう。食料自給率の少ない日本はイモ・米野菜と塩で主たるエネルギーを得、たんぱく質は残飯で育つ豚や鶏で取るしかないだろう。深く考えると恐ろしいがまた工夫する余地が出てきたと考えれば挑戦する価値がある。
築地市場を練り歩くの獅子頭でも見て元気つけるか。
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身障者カウンセラーと

2008年06月06日 | 築地市場にて
身障者カウンセラーと
縁あって東京都の身障者カウンセラーに新市場の件でお願いしました。現在の築地市場は健常者でも大変なくらい危険なところで事故も多く車で通勤しなければならないほどの障害者を雇用することは出来ません。いずれ建設する市場は身体障害者を雇用するのに必要な駐車場の設備を作ってもらうように頼みました。都の関与があって身体障害者の雇用が促進される市場使用料の設定等があればと思います。
 人生において何があるかわからない。身体障害に就職の機会を与える施設しなければ。5万人以上も築地市場で働いていれば色々な人生がある。
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売家を唐様で書く三代目

2008年06月05日 | 築地市場にて
売家を唐様で書く三代目
江戸時代の川柳であるが、築地も三代継続はなかなか難しい。あまりの過酷な勤務と稼いだ金を短時間に使うため浪費となる。そして経営者の浪費が従業員の不平を招き不正を行うようになる。よくある形である。
 先日倒産した人の家族に連絡することがあったので電話したところ迷惑をかけた人の目があるので築地市場内では会えないという。その人はごくそばで勤務しているのだが目に見えない築地市場の仕切りが倒産と言うことで出来てしまった。そんな人もあれば迷惑かけていて自己破産したから関係ないと思っている人もある。長い不景気は築地の人の心の中に色々なものを生じさせている。
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築地魚河岸三代目は

2008年06月04日 | 築地市場にて
築地魚河岸三代目は
この映画の試写会があったとき、築地市場大物部会の仲卸の業者がほとんど見に行かなかったそうです。大物部会とは築地市場の人達ならばみんな知っている『マグロ』を扱う人達の仲卸の団体です。どうもドラマの舞台になったところが破綻して大物部会の人達に負担をかけたようです。そういえば世間ではあまり知られていないようですが築地市場の仲卸の権利は『鑑札』と言われバブル時期には1鑑札の価値は何億円もしていました。しかし今ではあまり価値がなくなって仲卸が破綻すると『鑑札』を売っても損失補てんが出来なく仲卸組合が負担することになります。
 市場の外の人達が移転反対を唱えても水産仲卸以外は反対しない現実があります。また反対している人達も新規設備投資はしていないようです。まあ野タレ死にだけはなりたくない。移転問題が現実化すれば『鑑札』の価値が上がって仲卸組合の不良債権が減るでしょう。

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引札絵ビラ風俗史 増田太次郎著より

2008年06月03日 | 福神漬
引札絵ビラ風俗史 増田太次郎著より
鶯亭金升の福神漬の引札の刷り物の話から、明治の当時の引札の文章が浅草付近は戯作者が書いてあるのが多く、一方銀座では新聞社が多かったので記者や作家が広告の文を書いていたことが多い。
 明治の銀座は文明開化の象徴としてレンガ造りの建物が並び輸入品や流行品が並ぶ町として発展した。一方の浅草は江戸時代から浅草寺の門前町として発展してきた。さらに吉原遊郭や芝居興業の町でもあった。銀座は時代の先端を行く町ならば浅草は時代に取り残された人のための町でもあった。
 浅草の引札は戯作者が文章を作ったのが多く河竹黙阿弥や仮名垣 魯文も引札文を書いたと知られている。上野池之端『酒悦』主人より福神漬の宣伝文(引札)を依頼された戯作者梅亭金鵞であったのは当時としては当然のことでもあった。
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明治の池之端はどんな風に思われていたか

2008年06月02日 | 福神漬
明治の池之端はどんな風に思われていたか
明治以前の池之端は出合茶屋(今風の言葉で言えばラブホテル)の多くあったところと思われていた。江戸時代中頃、寛永寺の裏と言うか谷中の笠森おせんの茶屋が有名で賑わっていた。丁度明治の御一新の100年前のことだったが江戸時代の浮世絵師・鈴木春信が美人画のモデルに遊女でなく素人の「笠松お仙」を起用したところ江戸一番の美人と評判になって谷中がにぎわったと言う・鈴木春信は、色をつけた浮世絵“錦絵”の創始者として知られています。
 「笠松お仙」が消えるとまた谷中は静かになった。特に下谷区茅町のあたりは上野広小路の裏にあたり人の出入りも少ないところで静かであったという。しかし池之端から谷中にかけては風俗の町として明治の世間には見られていただろう。台東区の古老の話では明治の頃は妾宅が多かったという。
 途切れ途切れの福神漬の歴史で時代時代によって書き手にとって不都合な歴史や瑣末なことは記録されず、結果として連続性のない福神漬の歴史となる。残念。
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国産農産物の危機

2008年06月01日 | 築地市場にて
国産農産物の危機
山形県の名産の『だだっちゃ豆』の反収入が50万円を越える作物ですが年々作付けが減っていると言う。生産者が高齢化しているため減っていると言う。日本各地の特産物の作付けがだんだん減っていて篤農家だけで支えられているといってよい。国の補助のない農畜産物はいずれ消えるしかないのだろうか。
 日本全国の危機が高齢化という現象で顕在化されている。画一された農産物は日本の食文化の多様性の危機でもある。何とかしなければならない。
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