年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の36日目ガイガーカウンター

2011年04月15日 | 築地市場にて
漬物組合よりガイガーカウンターの購入のチラシが来た。ウクライナの会社の製品で75000円也。この製品はEU基格に準拠するという。
 たとえ購入しても検査証明証を発行できるワケでもないので産地廃棄・自粛等を信じて仕事をするしかない。築地に入荷する膨大な商材に対して正確なデータ収集は難しい。時には外装に問題があるかも知れないので素人の計測はデマを巻き散らかす効果しかないので購入は却下する。結構ハッポースチロールは保温性・機密性があって外部の温度を遮断する。当然内部には汚染は入らない。木箱の時代から発砲に代わって、築地市場内でパンクするのは青果部の方が多い気がする。果物輸入パレットから落ちた金属でパンクするのである。昔は魚の容器が木製のトロ箱で流通していたので結構水産地区を走ると釘を拾っていた気がする。
 震災に関して、サギまがいな行為に気が付くようになった。業界誌に震災見舞の広告を出すより、販売支援をしたほうが良いと思う。
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築地市場の35日目 くじら

2011年04月14日 | 築地市場にて
やっと豊洲移転に関してまともな意見の文章に出会った。それは3月14日の政策研究大学院大学 小松正之氏へのインタビューである。小松氏は築地市場大物業界(まぐろ等)の記念講演会で講演するくらい築地には詳しい方である。また海外の水産業界も詳しく、日本の水産業のため、特に「クジラ」に関しての国際会議での活躍は目覚ましかった。さらについでと言ってもよいのだが小松氏が水産庁に在籍していた時、かれの下で事務をしていた女性が今築地仲卸の社長夫人となっていて築地市場水産部の内部事情にもっとも詳しい人の一人でもある。ただこのインタビューは福島の原発事故が酷くなったことが報道される前だったので築地市場の危機の状態は反映されていない。今の状態での築地及び東日本の漁業者に対して良い政策はあるのだろうか。聞きたい。
 築地の移転はスリーアイ(I)が揃ってようやく実現したと言って良い。一つ目のIは石原知事である。東京都の役人は任期が短く、長期にわたる築地市場再整備の問題解決には業界のまとめ役が必要である。
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築地市場の34日目余震

2011年04月13日 | 築地市場にて
余震の震源地が徐々に東北地方から茨城に移ってきて、連日のように体感する地震が増えた。平常の通勤に戻そうと思っても地震で電車が止まるので余裕をもって勤務するように決まった。また長時間歩いて帰る事は皆こりごりである。自由な自転車を用意してあるので前回ほど帰宅困難とはならないだろう。ただ前は寒かったけれど雨は降っていなかった。地震後,雨音を立てるような雨がまだ降っていないが老朽化した築地市場の屋根の傷みはどこまで進んでいるのだろうか。
東京都から放射能に関しての築地市場内での講習会の予告がやって来た。近来にない参加者が出るだろう。得意先に説明するにはそれだけの知識がないと、デマを撒き散らすことになる。
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築地市場の33日目 豊洲へ

2011年04月12日 | 築地市場にて
築地市場内に多数の得意先のある保険屋の人がやって来た。水産の方にも回るという。豊洲へ移転する準備がまったくといってよいほど用意していない人が多いという。これから廃業する人・移転の準備をする人・豊洲に入りたいという人に経営権・従業員を譲りたい人・新規に豊洲に来たいという人・他の水産市場から豊洲へ行きたい人・築地場外市場から豊洲に行きたい人・築地場外に残る人等。色々な動きがあるだろう。
 東京都の予定では今年の6月末までに電力容量等のヒアリングをして、基本設計の業者の入札の資料を作成するという。その後設計者業者と打ち合わせて、来年の8月頃には汚染除去工事を終わらせ、工事にかかり、平成26年夏頃、新市場の建物が完成し、その後豊洲へ移転する業者の内部工事が始まるという。青果部は冷蔵庫設備が少ないため、比較的簡単だが予定のまま進むとは思えない。
 選択の余地のある人達は今後半年で豊洲へ行くか止めるかの決断を迫られている。これだけ放射能の影響があっての中で決断を迫られるとは予想もしなかっただろう。放射能で既に築地ブランドは地に落ちて、水産株を買い占めた人も大損しただろう。
 昭和10年2月11日、日本橋魚河岸から築地へ移転した時も日中戦争時代で先行き不透明な時期で、京橋から築地へ行進した青果業者は泣きながら行進したという。それだけ前途に不安があったという。
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築地市場の32日目 移転へ加速

2011年04月11日 | 築地市場にて
震災によって、日本橋魚河岸・京橋大根河岸から築地へ東京の市場が移転したといわれる。今回また震災という予想もつかないことで選挙が争点の論争も無く終わってしまった。これで豊洲へ移転することは加速されるだろう。都から示されている予定では今年の夏までに電気の容量等の概算を明示するように指示されている。水産部の人たちはかなり準備が遅れているので,東京都のプランのまま進む気がする。今の築地の状態では平成26年暮れに築地が終わることになるのだがそこまで水産仲卸が何軒生き残るのだろうか。
取引先である仙台中央卸売市場の人達が震災で電気とかガソリンのない状況で市場機能を維持する話を漏れ聞くと、生きていれば何とかなる気がする。築地の一番大切なものはそこで働く人達の命である。彼らは食のプロであるから自分の取り扱う商材に汚染などさせない技術管理がある。それより商材を見分ける力は一朝一夕には出来ないのである。老朽化した築地市場の建物が倒壊しても翌日には市場が運営されるだろう。築地の原始力は電気やガソリンが無くとも市場が始まる。天秤棒や大八車が今でも活躍している。ついでにレンタン暖房もある。生きている江戸時代である。
 豊洲の汚染問題の本質は食の安心安全の問題であるより、豊洲で一日8時間以上滞在し仕事をしている労働者の健康問題である。多くの荷物の殆どは箱も開けられず荷捌きされる現実から汚染など入る余地はない。
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築地市場の31日目1ヶ月

2011年04月10日 | 築地市場にて
あれから1ヶ月たった。毎日変化する情勢に十分対応できたのだろうか。非日常的な築地から徐々に前の落ち着いた築地に戻りつつある。それも30年近く前の築地に戻った気がする。そこには外国人観光客もいなければ築地ツアー客もなく、客引きのすし店員も無く、築地で商材を仕入れる人しかいない状態に戻った。混んでいた『もんぜき通り』も自転車に乗ったまま通過できる。場内の寿司屋の行列も消え、本来の築地で働いている人が急いで食事を出来る状態に戻った。
 昔の築地に戻った。日本人が働いている市場に戻った。不規則な長時間労働が若い人たちに嫌われ長い間下働きは外国人に任されていた。それが入管の取締が強化され、さらに不景気で稼げない築地から外国人労働者が消えた。さらに震災で殆どゼロになった。そして昔の築地に戻った。不景気で築地に就職する日本人が増えたので今のところ人手不足とはなっていない。それは日曜日に出る求人広告の件数も少なく時給も上がっていない。このことは場内で仲間同士の再就職の斡旋が行われていることを示している。何時も働いている同僚に商売では喧嘩しても良いが人間として喧嘩してはいけないと話している。何時得意先からライバルに転職するかわからないし、再び得意先に戻ることもある。この様な世界で仕事をすることは外部の世界では中々理解できないだろう。築地の再建案が頓挫する原因の一つが人間関係が金の力で動くわけでもない。
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築地市場の30日目 築地の満開の桜

2011年04月09日 | 築地市場にて
例年の春ならば、入学式の頃は京橋築地小学校前の桜が葉桜になっているが今年の桜の開花が遅れ、ようやく満開となった。正装して記念写真を撮っている小学生を見て行く末を楽しむ気分にはなれず、桜の写真を撮る事もなく、下を通り過ぎるのみ。付近のドラッグストアには不足していた水もようやく店に並び始めたのだろうか?築地のコンビニには小さなボトルの水も残り始め、備蓄騒動も終息しつつある。
 築地市場に南相馬町のコシヒカリが入荷している。去年のコメだが来年は風評被害を恐れてコメの作付けは出来ないので築地にはこないだろう。今年で食べ納めとなるのだろうか?また福島相馬から人が来る。お互いに長期戦となる事を確認して相互に励ましあう。今は連帯しかない。それぞれの持ち分で仕事をこなし、不当な風評を煽る行為に対して実績で示すしかない。福島産の漬物を拡販することで応援することになるだろう。
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築地市場の29日目 夏季節電対策

2011年04月08日 | 築地市場にて
築地市場は東京都の管理下に置かれているので例え中央区等都心の区域が夏季停電対象から外れるという事があっても。独自に節電する可能性がある。既に業界団体からそれとなく要請が来ることを匂わせている。
 従って、3から4時間の停電があったとすると今どのような対処をするか考える。当初予定したインバーター付きの発電機は既に大幅に値上がりし、さらに夏までに手に入る見込みがない。手元にあるホンダの発電機は900Vなのでレーザープリンタが稼働しない。この対策としてキャノンのレーザープリンタが最大稼働時500Wくらいのがあるので購入を検討する。少し前の製品らしく1万円でA4プリンターが販売されている。激安。後はAPCのUPSでコールドスタート機能を使って、パソコン本体・ディスプレイ・モデム・LAN電源を確保すれば何とかなるだろう。
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築地市場の28日目原爆まぐろ

2011年04月07日 | 築地市場にて
東京都中央卸売市場史下巻849頁~872頁
昭和38年3月発行
今の状況を考えると実に不適切な表現で原爆マグロの問題が書かれている。
 「昭和29年3月、市場は空前のちん事に遭遇した」と書き出しが始まる。3月1日ビキニ環礁での水爆実験の死の灰を浴びた漁船があった。漁船の乗組員の帰国後、体調不良を訴えるものが続出した。この事の重大性を15日から16日にかけて情報が築地に入り、検査したところ、マグロ類が放射能に汚染されていた。これからの1週間、築地市場をはじめて、日本全国の水産市場に風評被害が続出し、ついには築地市場の水産のセリが中止となってしまった経緯が20頁以上書かれている。築地市場正門わきに原爆マグロの記念碑がある。
 今起きている事がいずれ沈静化した時、東京都中央卸売市場史に必ず、数十ページにわたって記述されるだろう。結末はまだ分からない。
 
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築地市場の27日目塩吹き臼(ウス)

2011年04月06日 | 築地市場にて
ようやく一部の食品を除くと震災前と同じ品揃えとなった。一時不足していた米も余っていて、水を除くとこれからは電力とか資材不足に影響されている商品だけとなった。ここ数日計画停電が無いせいで落ち着いてきた。しかし間引きされた電車は混雑していて、不安を消していない。
 昔のおとぎ話だったが船の上で魔法の臼から塩を出したが塩が出過ぎて船が沈没し、それでもなお臼から塩が出続けたので海が塩辛いという話があった。今の福島沖は健康に問題ないと言っている汚染が出続けるとこの様な問題を引き起こすのだろうか。
 今のままだと適切な説明が無いと全国の水産市場に何が起こるのだろうか。変な意味で食糧自給率40%が意味してくる気がする。国民の大部分が国産では無いものを食べている事で放射能が出ていても、地産の食材を食べている地元の人を除くと安全となるのか?過去の食品事故でも食材を選べない人たちが犠牲となっている。
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築地市場の26日目海外の風評

2011年04月05日 | 築地市場にて
アメリカなどに日本食品を輸出している貿易会社から関東地方及び福島県産でないものを探すように指示されている。当分放射能の垂れ流しがある以上中々解除の状態になるまで時間がかかるだろう。阪神大震災で日本食品の輸出を担っていた神戸の会社が被害を受け。一時的に輸出が停滞し、関東の方に食品輸出の一部が移動してきた。今回の震災で今度は神戸の業者に食品の注文が移動するだろう。
 福島の山菜業者には風評被害ともいえるがアメリカの人にとっては会津や只見地方がどれだけ原子力発電所から離れているか説明しても理解はされない。中国野菜に含まれていた残留農薬の時も、日本のマスコミはごく一部の地方という問題を中国全体の問題にすり替えた。その結果、中国できちっと契約栽培されている日本業者も風評被害をうけ、売り上げ不振となった。
 築地から世界各地の日本料理店へ築地の食材を輸出している。今この輸出業者は極端にヒマか、輸出可能な代替品を探すことをしている。
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築地市場の25日目 花見に程遠く

2011年04月04日 | 福神漬
ここ連日の寒さで開化した桜も満開に程遠く、4月10日ごろがようやく満開となる記録的遅さである。桜も自粛しているのだろうか。ぼちぼち観光バスの台数も増えてきて、浜離宮公園に向う人も増えてきた。
 都立中央図書館のある有栖川公園では寒空の下で数組の人たちが自粛したピクニックという風景の花見をしていた。このままでは築地の新年度需要が不発となるのが確実だろう。先月急増した備蓄需要も今月から消費に向ってさらに落ち込む気がする。
滅入ることばかりの日常で非日常の世界を見せるテレビの番組もここまで来るとさらに滅入る。
 この様なときは非日常的な本を読むこととする。今調べていることは『和算』関係の本である。福島事件の被告となった、花香恭次郎がなぜ千葉県の万歳の和算家・花香恭法の養子となったかである。これには利根川下流域で江戸時代和算がかなり普及していたという。千葉県・佐倉市史によると房総で和算が発展したのは利根川の治水工事や印旛沼干拓工事等、測量に必要な人材が求められていたという。
 花香恭法の父である 花香安精は、和算と西洋数学を極め、多くの門人を育成しました。どの様な経緯で浦賀でペリーの国書を受け取った浦賀奉行の5男(花香恭次郎)が養子に行ったのだろうか。
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築地市場の24日目 帰宅難民

2011年04月03日 | 築地市場にて
そろそろ3月11日の地震後の行動について見聞きしたこと。地震の起きた時間が午後3時少し前なので水産部の人たちは大部分帰宅したか途上にあって、築地市場の建物が崩壊する恐れで飛び出すことは無かった。今でものんびり豊洲が液状化して、築地は大丈夫であったといっている。しかし、青果部ではまだ終業直前のため、多数の人たちが働いていたので、旧い建物の階段を下りて、崩壊すると思っていたビルから離れて駐車場の真ん中で揺れる建物とか電線を眺めていた。直ぐに電車が前面的に不通となり、携帯も電話も不通となった。東京難民の話が始まる。
 多くの人たちが慣れない自宅へ行進が5時から始まったと証言している。こんな地震でも会社に安否の知らせをしてから帰宅したらしい。遠距離の人たちは会社に泊まりこんでダンボールベッドで寝たらしい。あの地震報道では寝付けなかっただろう。歩いた人・ヒッチハイクした猛者・途中で飲食して東京マラソン?30kmほど歩いた人。またまた遠距離を歩いて自宅にたどり着いたがエレベーターが余震ということで使用できず,ラセン階段を27階まで登った人。翌日帰宅した人が水道の連結が外れて自宅が水浸しだった人。それぞれの人生で記憶に残る日となった。
 そんな中築地水産部の人たちは元々公共交通機関の利用は少なくわりとのんびりしている。さすがにガソリン欠乏には参ったと思える。築地市場開設以来始めてガソリンのための渋滞があった。もう2度度無いだろう。
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築地市場の23日目

2011年04月02日 | 築地市場にて
高速道路が東北地方との間で開通したので、続々と荷主さんが営業にやってくる。被災状況を聞き、改めて以前のように販売協力することを約束する。もう直ぐ工場が再開するところには仮発注をして励みになるようにする事となる。金銭応援は請求書なり、商材が届くなりの確認後、支払うことを約束して、資金援助を行う。復興にやれる手段は総力をあげることする。
今年の夏の節電対策だがどう見ても20から30%近い節電を行う必要がある。多分エアコンは不使用となるだろう。30年前の状態に戻ることとなる。冷蔵庫などがあまり役に立たないことを考えると、生の商材は販売に苦労するだろう。既に築地では干物の魚が売れ行き好調であるという。アイスクリーム・冷凍食品などは直ぐに販売消費しなければならないだろう。
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築地市場の22日目 ヨード

2011年04月01日 | 築地市場にて
北海道からコンブ等の海産物を満載して、築地に入荷している。例のヨードを含む食品が甲状腺ガンを予防するといううわさで売れ行き好調と聞いていたが満載の荷物を見ていると実感する。軽くて容積の大きい海産物を見ていると買い急ぎがあるようである。しかし、日本人はすでに十分ヨードを摂取していて、過剰摂取となると警告している文があった。ワカメ・モズクなどに入っていて、昆布から取った(だし)にもヨードが残っているという。騒ぎ過ぎ。欧州人はヨードの摂取が少ないため、塩にヨードを添加したものがあるという。この事が中国に於いて塩の買い占め騒ぎの原因となっている。他の国の人から見ると放射能を浴びると直ぐに死滅すると思われているのだろうか。広島・長崎の人は今でも放射能と戦って生活している。
 漬物関係ではコンブの漬物として松前漬が売れ行き好調であるという。商人としては売れ行き好調にブレーキをかける事は出来ない。気休めで。
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