関東大震災で日本橋の魚河岸が焼失し、戒厳令で魚河岸が封鎖された。そこで築地の移転は関東大震災となって通説化している。詳しく調べていると震災の少し前に中央卸売市場法が出来ていて、震災のなかった大阪から中央卸売市場が始まった。公設市場(今は少なくなったが建物内に小売店が集合している)も関西から始まった。これは物価上昇の不満が社会主義者の勢力拡大と判断した政府の政策だった。当時の卸売市場は社会安定を目指していて、そこに軍部と治安維持勢力が混乱の機会を探っていた。
江戸の町は3年に一度くらい大火事があった。レンガ等の建物が増えても人の行動は昔の記憶に支配され、火事が起きれば家財道具を大八車に積んで逃げることが常識だった。多くの避難民が燃えやすい家財を積んで避難所に集合した。そこの荷物に火が移り・火焔となり多数の焼死者を出した。両国の被服廠あとで数万人が死んだようだ。
治安維持の役人はあらかじめ不測の事態が起きたら行動する用意があったと思われる。
こんなことを思ったのは今度のコロナ騒動で大規模な給付金・景気浮揚政策が準備不足が目立ち、早急に政策を動かすため、前例の不適切な例を使用したと思われる。強大な予算は中抜きの金も巨大となる。
関東大震災で強権を合法化された憲兵隊は反対勢力を縮小し、地下運動となった。そして言論が戦争拡大へと向かうようになった。
鶯亭金升がなぜ関東大震災の直前に福神漬の命名由来を缶詰協会の会合で軍人に話したのは大正デモクラシーの最後だったかもしれない。その後は食の辞典に記録が残り、今に伝わる。実際の福神漬の由来の文献は大正3年頃の文献で田中芳男博士の命名説が通説となっていたようだ。
今度のコロナで不適切な税金の使い道で今後増税する際、役所の手続きの費用が巨大であることが判明し、天下り先が縮小することは確実である。目先の利益で支配されている日本がコロナが日本の立ち遅れを明解にした。
病院の前の薬局もネットで処方され、マイナンバ-で調薬し、宅配で保冷配送すれば無駄も省けるし、オンラインで診察すれば混雑は減る。各市町村の巡回の看護師にオンラインの機械の設置をさせ、医者と会話し、異常があれば病院に送り込むのが普通になる。
役人の仕事を確保するため紙の仕事を残したことが今度のコロナでオンライン・パソコン不慣れな高齢者が殺到し、役人を罵倒した。今後も前線の役人は情報弱者によって罵倒され、不人気な仕事となりそう。コンピュ-タ用語は慣れた人でも意味不明。ユーチュ-ブ動画を見てスマホで給付金を申請しようとしたが住民票の届け出の住所と記憶との差が気になり、書面申請となった。(郵送で来た選挙の時の住所とやはり違っていた。部屋番号が住民登録から漏れていた。)